瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

インド国名変更か?

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今日は、インドが国名変更するかも知れ無いという

『噂』を聞きました。

 

 

まだ噂ですが、今日はその『噂』話しです。

 

 

あるインド人が、教えてくれました。

 

 

『モディ首相がインド(India)という表記を無くそう。

バーラタ(bharat)という表記に変えよう。』

 

 

と言っているそうです。

 

 

うーん、そうなんだ。

ピンと来なかった。

 

 

何故かというと、

インド(India)という国名は、

 

 

アレキサンダー大王がアドリア海から

インダス川(現在パキスタン)に入った時に

インダス川流域の土地をインドと

呼んだことに始まります。

 

 

後に、イギリス統治時に、

イギリス風のインディア(India)

という呼び名が定着しました。

 

 

イギリス、ヨーロッパから見たら、

インディア(India)が正解ですが、

 

 

インド人からは、

パキスタンインダス川流域のことなので、

間違いなのです。

 

 

また、イギリス統治の過去を思い出すので、

インディア(India)の名前は、嫌いなのです。

 

 

ではなぜバーラタ(bharat)なのか?

 

 

バーラタまたはバーラト(bharat)は、

インド亜大陸サンスクリット語名で、昔から

インド人が自国をバーラタ国と言っていました。

 

 

インド古典文学のラーマーヤナ

マハーバーラタにも、

自国をバーラタ国と記載してます。

 

 

インド人の感覚として、

植民地時代に付けられた名前から

昔の名前に戻すことなのです。

 

 

インド人の発音を聞くと

バラット(bharat)と

聴こえるので、

バラット国が正しいのかも

知れないです。

 

 

国名変更した国はたくさんあります。

 

 

ビルマ(Burma)もミャンマー(Myanmar)に

変わりました。

 

 

トルコも国名を

ターキー(Turkey)からテュルキエ(Turkiye)に

変更要請を国連に出して了承され、

2022年3月以降は、テュルキエの国名表示に

全面変更されているそうです。

 

 

テュルキエって、言いにくい。

 

 

自分が一番おどいたのが、

オランダの国名が

ネーデルランド王国

英語名ネザーランド(the Netherlands)で、

 

 

TM瞑想のマハリシがいたオランダにいた時に

外貨送金をオランダにした時に

ネザーランドが分からず銀行の職員さんに

聞いて、銀行の職員さんも分からず

大慌てしたことが以前ありました。

(国番号を書く欄があったんよ)

 

 

話しを戻して、

インドがバーラタになるかも知れない

『噂』の話しでした。

 

 

もし、バーラタになったら

インド人は、バーラタ人で

インドカレーは、バーラタカレー。

 

 

インド旅行は、バーラタ旅行で、

エアインディアは、エアバーラタ。

 

 

そうなるんかなあ。

慣れそうにないなあ。

(終わり)

 

聖者ラーマリンガスワミの話

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今日は、ラーマリンガスワミの話です。

 

 

南インド、タミルナード州の人気の聖者です。

映画がつくられたり、書き残した詩を

歌にしてタミル語の歌手が歌ったり、

南インドでは、すごく人気があります。

 

 

1874年まで生きた人で、

150年ぐらい前のすごく最近の

私たちに近い聖者です。

 

 

シヴァ派のシッダール、達人で、

さまざまな奇跡を起こしました。

 

 

村に落ちているクズ鉄を拾い集め、

金ゴールドに変えてお金を用意して、

 

 

貧しい人に無料でご飯を

提供しました。

 

 

肉体が光を発して、

ライトボディ化して

カメラで映しても

布しか写りませんでした。

 

 

普段は歩かず、

立ったまま、2〜3センチ

空中を浮いて移動していました。

 

 

川の上を歩いて渡ったという

村の人の目撃がたくさんありました。

 

 

2、3カ所同時に人々を集めて

2、3カ所同時に現れて教えを話しました。

 

 

自分の身体から炎を出して、

かまどの火を付けました。

そのかまどの火で食事を作りました。

 

 

そのかまどの火は、

2023年の現在も奇跡の火として

燃え続けています。

(村の人が薪を追加して守っている。)

 

 

1874年の1月30日、

信者たちとの集会サットサングの後に

自分の部屋に入って、弟子に部屋を開けないように言い

カギを掛けさせました。

 

 

ラーマリンガは、閉める前に

『次に部屋を開けた時に私は消えている。』

と言い、部屋から出て来ませんでした。

 

 

これは、サマディに入るという意味でした。

 

 

その部屋の外では、

信者たちが祈り、バジャンを歌いました。

 

 

1月30日に閉められた扉は、

3ヶ月以上経過していました。

 

 

その噂を聞いた政府の役人が来ました。

そして、5月のある日に、

 

 

警察官立ち会いで、強制的に開けられました。

 

 

部屋は空っぽで、

何もありませんでした。

 

 

警察官は、部屋にトリックが無いか

徹底的に調べました。

 

 

また、当時見ていた人に

聞き込み調査しました。

 

 

裁判所は、

『ラーマリンガスワミの失踪に関する記録』

としてまとめ、認定しました。

 

 

裁判所が認めた奇跡として、

インドの事典に掲載されました。

 

 

ミルナード州では、

ラーマリンガスワミの切手が発行されました。

 

 

ラーマリンガスワミは、死亡記録が無く、

失踪記録しか残っていません。

 

 

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(右側の花輪ガーラントが掛けられた奥に

オイルランプがあり、その中に小さな

立ち姿のラーマリンガスワミの光が現れた写真。

小さな炎が2つあり、左側の小さな方がオイルランプの

芯の炎で、右側のやや大きな炎が、オイルランプの器の

縁の部分に現れた炎)

 

 

そんなラーマリンガスワミが、

最近オイルランプの中に現れたと

インドで話題になっているようです。

 

 

ラーマリンガスワミの教えは、

カースト制度の反対と

神像を全て取り除き、

オイルランプの光を

信仰したことです。

 

 

ラーマリンガスワミのテンプルは、

オイルランプがあるだけです。

 

 

ラーマリンガスワミの信奉者は

オイルランプの光の中に

神聖な物を見て祈りました。

 

 

そのラーマリンガスワミは、サットサングで

2024年に復帰を予告する最後の言葉を

残していました。

 

 

 

ラーマリンガスワミの最後の言葉は、

 

 

1、もし、あなたが神の恵みを望む時に

  ランプの前に座るのは、

  神が今現在ランプの炎の形の中にいるからです。

 


2、すべての生き物に優しくしなさい。

 


3、私は150年の間、見えなくなります 。

  2024年に復帰します。

 

 

*失踪の年は1874年。 2 1⁄2 x 60 = 150年。 1874 + 150 = 2024年

 


4、私は宇宙と同じようにこの世界にもいます。

 

 

5、その後、大いなる優雅な光の主が来るとき、

  私はこの光の形の人体で奇跡を起こします。

 

 

(最後の言葉終わり)

ソース:
https://mydattatreya.com/ramalinga-swamigal/

 

#thiruvarutprakasa #vallalar
#ramalingaswamigal
#paramjyothi

 

 

まとめ

今日は、ラーマリンガスワミを

紹介しました。

 

 

インドのシヴァ派の伝統の中で育ったスワミが、

神像を取り除き、オイルランプだけになり、

宗教問わず食事を奉仕するところは、

彼に大きな変容があったからだと

感じます。

 

 

カースト制度に反対して、

宗教に関係無いという境地が

垣間見える聖者だと思います。

 

 

肉体が、光の身体に昇華して、

サマディの時に肉体を残さず、

そのまま昇天した、奇跡の聖者です。

(終わり)

 

自己認識の完了の次には?

瞑想は、内観、内省がすすめられています。

 

 

内観、内省は、自己を見ることです。

 

 

自己を見ることは、難しいです。

 

 

自己を見たことが無い人ほど、

簡単に出来るだろうと言います。

 

 

最初から自己を見れないので、

初めは、自己の呼吸観察から始めます。

 

 

ヴィパッサナー瞑想では、

入門に1日14時間の呼吸観察を

5日続けられたら、次の瞑想に進みます。

このぐらいはやっています。

 

 

次に体の感覚や動きに

気づきを向ける練習をします。

 

 

そうしてようやく、次の

心の動きに注意を向けます。

 

 

いろいろ個人的な体験は違いますが、

過程は飛ばして結論は、

 

 

自己を批判せずに、言い訳せずに見て、

 

 

『私は、嫉妬のかたまりだった。』

『私は、不満のかたまりだった。』

『私は、憎しみのかたまりだった。』

『私は、恐怖のかたまりだった。』

『私は、エゴのかたまりだった。』

『私は、欲望のかたまりだった。』

『私は、利己主義のかたまりだった。』

 

 

このような自己認識が来ます。

このネガティブな認識はつらいことで、

受け入れることは難しいです。

 

 

このような自己認識の完了を超えて初めて

スピリチュアルの扉が開きます。

 

 

自己認識の完了が終わり、

スピリチュアルなものとの壁が

取り払われ、自動的に変化が起きます。

 

 

スピリチュアルマスターやグルが、

『準備は出来たか?』

と言われるのは、このポイントです。

 

 

このネガティブな認識のその向こう側に

『あなたの神様』が

隠れていらっしゃるのです。

 

 

それを『神実現』と呼ぶ人が

いるかも知れません。

 

 

神実現は、私たちが思うより

ずっと近くにあるのです。

 

 

普段の生活で、

ネガティブな感情がなぜ起こったのか?とか、

この感情の原因は誰の責任か?とか、

そんな事は

全くどうでもいいことで、

 

 

大事な事は、

ネガティブな感情が起きた時に

あなたの心の中に

『何』があるのか気づくことです。

 

 

『何』かがあるから、

ネガティブな感情が起きたのです。

 

 

『何』も無ければ、

ネガティブな感情は起き無いのです。

ネガティブな事が周りで起きたとしても。

 

 

あなたの内側を

深く探求して欲しいのです。

あなたしか見つけられないのです。

 

 

この気づきが起こる時、

自己認識が完了した時、

神実現は、自動的に起こります。

 

 

人は、自動的に神実現するように

デザインされているのです。

 

 

地球上の80億の人が

みんな出来るのです。

 

 

もしかしたら、

2023年の今より縄文時代の方が

神実現していて、

神の声を聞いていたかも知れません。

 

 

私たちのハートの奥には、

内在の神がいます。

 

 

内在の神をアンタリヤーミンと言います。

 

 

今までアンタリヤーミンは、眠っていました。

 

 

神実現とは、あなたのアンタリヤーミンが、

あなたより速く反応して、

あなたをサポートしてくれることです。

 

 

内側の声が聞こえたとか、

読むべき本が光って見えたとか、

手が自動的に動いてボタンを押したとか、

発表会の記憶がないけど、完璧にピアノ弾いていたとか、

 

 

いろいろ個人的な体験は

人それぞれたくさんあります。

 

 

ですから、

あなたが立ち往生している場面に遭遇したら、

気づきが深まっていないので、

落ち着いて、気づきを深めてください。

精度を高めてください。

 

 

そして、ハートに手を当て、

あなたのアンタリヤーミンが

反応するのを見てください。

 

 

あなたの気づきの深度に応じて

反応してくれます。

 

 

自己の気づきの深度を深めることが、

ハートのアンタリヤーミンに

出会うことです。

 

 

ですから呼吸観察は、

神実現に連れて行ってくれる

『船』のような乗り物なのです。

 

 

目的地に着いたら

自然と役目を終えるのです。

(終わり)

内側でつくウソの話

 

今日は、内側でつくウソの話です。

 

 

ズームでの瞑想会で、

黙想のテーマが、

『外側でつくウソと内側でつくウソ』

でした。

 

 

外側でつくウソとは、誰か他人につくウソです。

内側でつくウソとは、自分自身につくウソです。

 

 

参加の方々が、

内側でつくウソ、自分につくウソが

わからないと言うので、

自分につくウソの説明をしました。

 

 

その話です。

 

 

自分自身につくウソについて、

気づいていないので、

まず、自分自身にウソついていると

気づくことが大事だという黙想です。

 

 

ほとんどの人は、

自分にウソついて生きています。

ウソついているとも

気づきません。

 

 

気づきが深まる順序は、

 

 

1、気づきの無い状態、何も疑問に思わない状態。

2、今まで何も気づいて無かったと気づく状態。

3、気づきながらもウソついている状態

4、内側に誠実に生きる状態

です。

 

 

目標は、内側に誠実に生きるです。

そのためのステップです。

 

 

自分に正直になって、

お金たくさん欲しいとか。

高級マンション欲しいとか。

ベンツ欲しいとか。

ヴィトンのバック欲しいとか。

思っても良いのです。

欲望に正直に向かい合うことです。

 

 

欲望は正義ではなく、

前進するエネルギーです。

 

 

では、私たちはどのように

内側でウソをついているでしょうか?

 

 

具体的に見ていきます。

 

 

例えば、

Aさんは、ヨガサークルで使う公民館の教室の

『カギ』を開ける係でした。

 

 

Aさんは、まめな性格で、

ヨガサークルが始まる前に来てカギを開け

エアコンをつけて涼しくして

準備してくれていました。

 

 

冬は、暖房を入れて

寒く無いように

準備してくれていました。

 

 

Aさんは、1年ぐらい

『カギ当番』をしていました。

 

 

ある日体調の悪い日があり、

ヨガサークルの時間まで

少し横になって休んでいました。

いつの間にか寝ていました。

 

 

携帯が鳴って、

びっくりして起きました。

 

 

『寝坊しちゃった。

ごめん、すぐ行く。

15分待ってて。』

 

 

Aさんは自転車で急いで公民館に

向かいました。

 

 

公民館に着くと

教室の前にサークルのみんなが

待っていました。

 

 

『本当、ごめん。

みんなごめんなさい。』

 

 

15分遅れで教室のカギを開け

みんなが入って行きました。

 

 

Aさんに、みんな優しく、

『大丈夫、大丈夫よ。』

と言ってくれて

ヨガサークルは、始まりました。

 

 

Aさんは、内心思いました。

 

 

『今までボランティアで早く来て、

1年間カギ当番したのよ。

今日ぐらい少し遅れても

バチは当たらないわ。

むしろ、私だけ重労働してるのが

今回のことで

みんな良くわかったと思うわ。

次から誰かに変わってもらうわ。』

 

 

Aさんは、ウソついていないので、

普通は、正直者です。

 

 

事実は、15分遅れた。

それ以上でもそれ以下でも無いのです。

 

 

15分遅れた事実を受け入れられずに

内側で言い訳したことが

内側で正直になれなかったことです。

 

 

これが内側でつくウソです。

 

 

ほとんどは、事実を受け入れられずに

言い訳したり、誤魔化したい、逃げたいという

心理です。

 

 

みんなにあります。

しかしながら、これに

向き合う勇気ある人は少ないです。

 

 

なぜなら、

自分はウソつきだと

認めることになるからです。

 

 

内面に向き合うのは、

エベレストに登る登山家のように

勇気ある探検家です。

 

 

では、深く深呼吸して、

呼吸観察し、

落ち着いたら、

内面でつくウソについて

黙想してみましょう。

(終わり)

マインドゲームの話(つづき)

 

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マインドの話のつづきです。

マインドは会話し続けています。

 

 

マインドの会話でかなりエネルギーを

消耗しています。

 

 

スピの界隈では、

うつの人が寝ててもぐったりと消耗しているのは、

マインドの会話でエネルギーを使っているからと

いわれます。

 

 

そのマインドの活動を

マインドゲームと呼びます。

 

 

私たちは、人類が狩猟採取して生き残って来た

古い意識を今も持っています。

 

 

マインドは、古いものです。

 

 

生き残るためにして来た

マインドゲームを、大きく7つに分けました。

7つのマインドゲームを見ていきましょう。

 

 

気づきから、次のステップが始まります。

まず、気づくことです。

現状の把握です。

 

 

本当に私は、マインドゲームをしているのだろうか?

内側を見てみましょう。

ほとんどみんなマインドゲームしていることにすら

気づいて無いのですから。

 

 

7つのマインドゲーム

1、マインドはサバイバルゲームが好き

2、マウント取りゲームが好き

3、支配されることの抵抗ゲームが好き

4、あなたは間違っているゲームが好き

5、私は正しいゲームが好き

6、隠すゲームが好き

  (逃げるゲームが好き)

7、盛って魅せるゲームが好き

  (仮面、マスクをする、別の物に見せるゲームが好き)

 

 

 

ではまず1番は、

マインドはサバイバルゲームが好きです。

生き残りゲームをして来たので、ゲーム大好きです。

ギャンブル、賭け事大好きです。

競争が好きです。

どうやって勝つか考えるのが好きです。

相手の弱点を考えるのが好きです。

獲物を狙い、獲得するのが好きです。

競争を見るのも好き。

競争を応援するのも好きです。

車を運転していて少しでも前に行きたいと割り込む心理。

スーパーの半額シールの商品をゲットしたい心理。

などなど。

 

 

2番は、マウント取りゲームが好きです。

自分は、王様になりたいと思っている。

相手を都合よく使いたいと思う。

物事が私の思うようになれば良いと思う。

コントロールしたいと思う。

自分はあなたより上だと言いたい。

相手より優位に立ちたい。

直接支配したい。

直接支配出来ないと間接的に支配したい。

支配出来ないと力、威嚇で支配したい。

傷つける言葉で支配したい。

好きだからと、愛の名の元に支配したい。

家族だからと支配したい。

知識の豊富さで相手を支配したい。

優れた技術で相手を支配したい。

家柄で相手を支配したい。

経済力で支配したい。

相手の失敗を取り上げて支配したい。

相手に罪悪感を感じさせて支配したい。

記念日忘れるなんて信じられない。

無視して支配したい。

などなど。

 

 

3番目は、支配されることの抵抗ゲームが好きです。

2番目の支配ゲームに連動して、

3番目の支配されることの抵抗ゲームが発動します。

相手に支配されたく無いという心理です。

相手に抵抗します。

相手に不利な情報を周囲に流します。

相手に気づかれ無いようにダメージを与えようとします。

支配者が失敗して欲しいと思います。

上司の文句を隠れて言います。

自分の役目に不満を持ちます。

マウントを取ろうとする人に気付かれ無いように

ダメージを与えようと悪口を言います。

自分は、誰のコントロールも受けたく無いと思います。

嫌な人に直ぐ対応せずにわざと待たせたりします。

私は自由でいたいと思います。

あなたのスペースに入りたく無いと思います。

私のスペースに入ってこないでと思う。

自分の領域を守りたい。

相手との関係性に不満がある。

相手を無視する。

相手の支配を感じると戦いたくなる。

頭を下げてお願い出来ない。

プライドが邪魔して教えてと言えない。

私は、傷つけられたと思う。

嫌いな相手のラインをブロックした。

などなど。

 

 

4番目は、あなたは間違っているゲームが好き。

揚げ足取りが好き、

他人の失敗で笑う、

他人のミスを指摘する。

全部君のせいだと思う。

相手を引き下げたい。

相手に責任を取らせたい。

私が忘れたのは、あなたが声掛けたからだ。

遅れている、遅いじゃないか。

なぜこんなに待たせるのだ。

こんなことも出来ないのか?

他人のミスから学ぶのはダサい。

店員さんのミスに怒る。

などなど。

 

 

5番目は、私は正しいゲームが好き。

これは、4番目のゲームに連動しています。

私は正しい、あなたは間違いだ。

私は何も悪くない。

私はただ、歩いていただけ。そちらが悪い。

自分の優位性を証明したい。

尊重されたい。

チヤホヤされたい。

自分を守りたい。

などなど。

 

 

6番目は、隠すゲームが好き。

逃げるゲームが好き。

悪いことは隠したいと思う。

相手に知られたく無いから隠したい。

嫌われたく無いから隠したい。

不安だから隠したい。

自分を守りたいから隠したい。

言うと辛いから隠したい。

失敗を隠したい。

距離を保ちたい。

相手より優位に立ちたい。

秘密を知られたくない。

相手がうるさいから隠したい。

自分を表現するのが苦手だから。

面倒くさいから。

逃げたいから。

家族に知られたくないから。

マスクするのが好き。

などなど。

 

 

7番目は、盛って魅せるゲームが好き。

別の物に見せるのが好き。

弱い自分を隠したい。

綺麗に魅せたい。

可愛く魅せたい。

痛みを隠したい。

傷を隠したい。

誤魔化したい。

などなど。

 

 

ごく一部です。私たちは

毎日マインドゲームしています。

気づかずにマインドゲームしているのと、

気づきながらもマインドゲームしているのは、

天と地の差です。

 

 

マインドゲームは、

本当の自分を偽り、傷つけています。

 

 

マインドゲームに気づくとは、

自傷行動に気づくことです。

 

 

自傷行為は、物理的にだけで無く、

精神的な自傷行為もあります。

 

 

まず、内側のマインドの会話を

観察してみましょう。

癒やしはそれからです。

(終わり)

マインドゲームの話

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マインドとは、心です。

心の考えのことです。

 

 

マインドとハートは違います。

ハートは、感情です。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、嫌悪したり。

 

 

マインドの中に天使と悪魔がいて

会話するマンガを見たことがあると思います。

 

 

あれが、私たちの日常で

ずっと繰り返しているのです。

 

 

私たちは、マインドの会話に

気づいていません。

 

 

マインドの会話に気づいて生活しましょうという

それだけの話です。

 

 

私たちの日常行動は、

マインドの会話に支配されています。

 

 

それに気づいていないので、

まず、気づくこと。

 

 

次に良く気づいて、

マインドを良くしようとしても

私のマインドは変えられないと

気づくこと。

 

 

私のマインドはコントロール出来ないと

気づくこと。

私は、マインドの奴隷だったと

気づくこと。

 

 

ここまで内観しましょう。

 

 

わたしたちが質問したり、答えたり、考えている間は、
我々はマインドのフィールドにいます。

 

 

そしてこの考えのゲームは延々と続きます。

(覚醒するまで、眠りから覚めるまで。)

 

 

それはマインドにその能力があって、質問をエンドレスにしたり、

エンドレスに答える事ができるからです。

 

 

ちょうどタマネギの皮をエンドレスにむいている感じです。

結局どこにも到達しません。

 

 

ですから唯一の解決策は、

マインドの中から飛び出してマインドの支配から自由になることです。

 

 

マインドがそこにある限り、我々は何も経験することができません。

 

 

水を飲んでも、水をちゃんと体験していないのです。

 

 

呼吸をしていても、空気をちゃんと体験していないのです。

 

 

歩いていても、足の裏の地面をちゃんと体験していないのです。

 

 

ちゃんと体験していないので、やり直して来なさいと

また、地球に戻されるのです。

 

 

体験学習が終われば、

次に行けるのです。

 

 

マインドがなければ、物事をダイレクトに体験し、

その体験は、ただ喜びです、ただ愛です。

 

 

この喜びの体験が無ければ、

 

 

右の頬を打たれて、

左も打ちますか?と差し出すことは、

出来ないです。

痛みさえ、喜びのエネルギーなのです。

 

 

だから、私たちは

マインドを通さずにダイレクトに体験する

練習が必要なのです。

 

 

マインドとは、古来から生き延びるために

サバイバル生活で戦って来た意識です。

 

 

マインドは古いものです。

何百万年もマインドの中で生きて来ました。

 

 

マインドは生き残る意識です。

マインド自身が、元来答えを望んでいないので、

質問に対する答えをマインドは発見できません。

 

 

マインドは自分のサバイバルのために戦っています。

相手を蹴落とすこともして、生き残って来ました。

 

 

我々はマインドの意識に囲われて、
何も経験することができません。

人生で何ら経験できていません。

 

 

皆さんが一般に「経験」と呼んでいるものは、

本当の意味で経験ではありません。

 

 

一度でいいのでマインドから出る事ができれば、

経験することは、素晴らしいことだとわかります。

 

 

そして初めて、

無条件の喜びと無条件の愛を発見できます。

 

 

理由なく喜べて、理由なく愛せる体験です。

 

 

あなたが知っているようなものはすべて条件つきです。

すべて、何か理由があります。

 

 

そしてもう1つは、すべて対立を生む『自我』

という物で成り立っています。

 

 

そして自我は思考を使い、思考は測定をして、

比較します。損得、優位。

 

 

マインドは思考に基づいています。

ですからマインドは相手と分離させます。

 

 

思考も分離させます。

自我も分離させます。

全てが対立を生みます。

 

 

ですから私達は自分の内面で分離し、家族が分離して、

私達の社会も分離して、私達の文化、文明まで分離して、

この地球全体が分離していて、終わりがありません。

 

 

ですからこのゲームを終わらせる必要があり、

その唯一の方法が目覚める事(アウェイクンド)です。
 

 

ワンネスの意識では、あなたとわたしは、

統一意識の中で一つです。

一つだから、喧嘩も戦争も起きようが無いのです。

 

 

自分で自分の顔を殴るひとは

いないのです。

 

 

だから、左の頬を叩きますか?と差し出されたのは、

自分自身の顔なのです。

 

 

今現在、自分自身の顔を殴る人ばかりだから、

早く気づいて欲しいと願うのです。

(終わり)

シルディのサイババ

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今日は、シルディのサイババについてです。

日本では、ほとんど知られていないのですが、

インドでは、今でも人気です。

 

 

シルディのサイババさんは

サティア サイババさんと間違えやすいですが、

違う人です。

(アフロヘアの人)

 

 

ナチュラルスピリットのこの本は、

インド人が書いた

インド人向けの本の翻訳なので

かなり上級者向きです。

興味ある方はどうぞ。

 

 

1918年に約80歳で亡くなった精神的指導者です。

インドの西側、マハラシュトラ州のシルディという村に

現れたから、シルディのサイババと呼ばれました。

かなり、最近の人です。

 

 

サイとは、托鉢僧という意味。

シヴァ派をサイヴァイトと言うので、

サイはシヴァ派と思いがちですが違います。

 

 

ババとは、お父さん、お爺さん、老師、師匠という意味。

シルディのサイババとは、

シルディ村の托鉢僧の老師という意味。

 

 

この格好は、イスラーム教の僧スーフィーの服装です。

そして、荒廃したモスク、イスラーム教の寺院に住んでいた。

そのため、初めはイスラーム教だと思われた。

 

 

彼のすごいところは、

イスラーム教もヒンドゥー教も同じだと

断言して、奇跡を行い

イスラームの信奉者と

ヒンドゥーの信奉者の両方から

崇められました。

 

 

彼の有名な言葉、

アッラーもラーマも同じなのに、

どうしてそんな言い争いをするのだ。』

 

 

『神には手が届かないと誰が言ったのか?』

 『神はあなたのハートの家に住まわれる。』

 

 

シルディのサイババは、病気を治療する奇跡を数多く行った。

また、経済的に豊かになる奇跡を数多く行った。

シルディのサイババの弟子達は、修行者には珍しく

裕福な人が多かった。

そのため、病気の治癒や経済的豊さを

求めて、信奉者が集まるようになった。

 

 

シルディのサイババは、こう言った。

『人々は、病気、金のことばかり言う。

もううんざりだ。ここにもっと宝が

あるのに知らんのだ。』

 

 

病気の治療、お金の話しばかりの

意識の低い人々を嘆いていた。

精神的な宝を与えようとしていた。

治癒やお金は副産物だった。

 

 

信奉者一人一人に奇跡が起きた。

そのため信奉者が増えた。

信奉者の家に

テレポーテーションして現れて、

教えさとして、突然消えたというエピソードは、

たくさんあった。

 

 

ヒンドゥー教の家に生まれて9歳ぐらいの時に

イスラーム教の僧スーフィーが弟子にしたいと

連れられてイスラームの教えを学び、

 

 

そして、ヒンドゥー教

ヴィシュヌ派のスワミ サマルタに弟子入りして

ヒンドゥー教の教えを学んだ。

 

 

スワミ サマルタは、

ダッタトレーヤ神の化身と言われたので、

弟子のシルディのサイババ

ダッタトレーヤ神の化身と言われた。

ダッタトレーヤの伝統を受け継いでいる。

 

 

イスラームの信奉者に

クルアーンを読み、祈り、慈善をしなさいと言い、

 

 

ヒンドゥーの信奉者には、

ヒンドゥー聖典を読み、神の名を唱え、自分の義務をしなさいと言い、

 

 

カーストや、宗教の差別を批判した。

それをサイババ運動と呼んだ。

 

 

サイババの元に

キリスト教徒やシーク教徒も集まり

宗教を超えた聖者となった。

 

 

シルディのサイババのテンプルには、

毎日3万人以上訪れていて、

貧しいシルディ村は、

シルディシティになった。

 

 

毎日YouTubeのライブをしているので、

興味がある方は是非見て欲しいです。

 

 

宗教を超えた聖者は、

今の時期にこそ必要だと思う。

現在2023年、宗教の違いでまだ

戦争している。

 

 

まとめ

シルディのサイババは見た目が

イスラーム教なので

毛嫌いされがちですが、

宗教を超えた聖者です。

 

 

ダッタトレーヤの伝統を受け継いでいるので、

ヒンドゥー教の本流とも言えます。

シルディのサイババの言葉を見ると

神を体現した聖者です。

 

 

そして、信奉者には、

慈愛と奇跡を示されます。

ヒンドゥーイスラームの間に

違いは無いと言う人こそ

真実の本物だと思う。

(終わり)