瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

好き嫌いの話

瞑想バカの滝さんのひとりごとブログ
好き嫌いの話。

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(タミルナード州カンチープラムの

花屋さん、12月でも花が沢山あります。花屋さんで花を買い、すぐとなりで、花輪にして売っているインド地元女性もいました。2019年)

 


誰でも、好き嫌いはありますね。

 


食べ物の好き嫌い。
友達の好き嫌い。
勉強の好き嫌い。
などなど。

 


たくさんあります。

 


私たちが生き残るために
競争の中で、
好き嫌いで、
物事をわけてきました。

 


食べ物、飲み物、洋服、仕事、他人のしぐさ。

 


目に写るものすべてのジャッジメント
毎瞬、毎瞬してます。

 


コンピュータープログラミングからみると、
このジャッジは
膨大なルーティンワークです。

 


メインプログラムが、

動作不全になるような
ジャッジメントルーティンを
ひたすらし、続けています。

 


そして、驚くことに
休むどころか、
現代では、ジャッジルーティンを
超高速化して、

 


脳神経回路がダメージ受けるまで
突っ走ります。

 


私たちの脳は
気づかずに高速回転して、
悲鳴を上げています。

 


私たちの脳は、

メインがほとんど使えなくて、
おまけの

ジャッジメントルーティンプログラムが、
唸りを上げて超高速で回り続けて、

 


自分にも、回りにも、
危害をし続けています。

 


それも、自分で気づかずに。

 


瞑想で、ジャッジメントが10%減れば、
10%楽になり、

 


瞑想で、ジャッジメントが20%減れば、
20%楽になりますよね。

 

 


こうして、脳が使えれば、
作業効率があがり、
生活が改善され、

 


余裕がうまれて、穏やかに落ちつきます。

 


今日は、
瞑想的にこの好き嫌いを見てみます。

 

 


結論から先に言うと、

 


好き嫌いは、あなたの色眼鏡です。

 


まるで、赤色のサングラスをかけると
みんな赤色にみえるようにです。

 


あなたが好きという色眼鏡でみると
好きに見えます。

 


あなたが嫌いという色眼鏡でみると
嫌いに見えます。

 

 


私たちは、「ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)」

 


という思いによって染まった、
私の主観でできた色眼鏡をかけて
世界を見ています。

 


私たちの中にある

どんなに複雑な感情や思いも、
この2つのシンプルな
私の主観がベースになっています。

 


好きなものは、手に入れたい、残したい。
嫌いなものは、避けたい、手放したい。

 


これがステップアップして、

 


嫌いな人の好きなものをじゃましたい。
好きな人の好きなものを用意して、私が好かれたい。

 

 

「私から言うと嫌われるから、

あなたから言ってくれない?お願い!」

 

 

これは、
駆け引きです。どんどん複雑化します。

 


ジャッジメントから、
駆け引きの道具になります。

 


私たちは、
この好き、嫌いの2 つの思いに

振り回され、
私の色眼鏡で世界を評価します。

 


好きな人に期待し、

勝手に運命だと思い、
裏切られ、落胆する。

 


人によって何が好きか嫌いかは

違いますが、

 


人の主観はすべてこの

好き、嫌いの2つが
原因となっています。

 


色眼鏡の主観を通して世界をみたら、
私たちは世界のありのままの姿を
とらえることができません。

 


私の色眼鏡で世界を見たら
私の色眼鏡の色にしかみえません。

 


歪んだ視界で世界と自分を見れば、
自分の心に映るリアルな真実は

歪みます。

 


世界は自分だけの“好き嫌い”という

主観的な思いを
軸にしてあるわけではありません。

 


自分にとって受け入れられることも

あれば、
受け入れられないことも

日常生活には起こります。

 


私たちの心は、
受け入れられないことに対して

逃れようとし、
反撃し、あがき、もがきます。

 


受け入れられないことが多くあれば、
心はくつろぐことができず、
大きく波打ち荒れます。

 


思い通りにならない自分や

世界に対して
不満を抱え、

 


不満のある人が、
瞑想のために坐り目を閉じれば、

 


当然、数々の心の奥底の不満が

不協和音のように
心の中で鳴り響きます。

 


これでは、到底、

瞑想どころではありません。

 


瞑想をしない時の方が、
よっぽど気を紛らわせることが

できるため、

 


瞑想が嫌いになり、

 


瞑想しない普段の方が
落ち着いていたかもしれません。

 

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(花輪、ガーランド屋さん)


今回のまとめ、

 


私たちには、好きと嫌いという

感情がある。

 


好き、嫌いで、

ジャッジメントし続けている。

 


ジャッジメントで疲れはてて、

メインの脳機能を
使えていない。

 


ジャッジメントしていることも

気づかないほど、
ジャッジメントと何十年も

一体化している。
客観的に見れていない。

 

 

見るもの全てを、

これ嫌い、これ好きと

コメント付けする。

 


色眼鏡でジャッジメントしている。

 


好きの色眼鏡は、過去の成功体験。

 


嫌いの色眼鏡は、過去の失敗体験。

 


過去の体験で、

現在をジャッジしている。

 


過去の体験で生きているため、
今の体験で、生きていない。

 


脳と心は過去で、
身体は現在で、心身分離して

いきている。

 


まず、好き嫌いのジャッジメント

していると気づいて

客観的にみる練習をしてみる。

 


ジャッジメントしていないで、
そのまま受け入れるようになると、
ジャッジは減ります。

 


では、瞑想のパートに入ります。

姿勢を正して、

深呼吸を7回ぐらいします。

 


落ちつきましたら、
気づきを好き嫌いに向けます。

 


好きも必要だし、嫌いも必要です。
好き嫌いの感情も、本当にあります。

 


ただただ、気づくだけです。
やってみるとどうなると思いますか?

やってみましょう。