瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

瞑想の定義

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瞑想の定義の話

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(2018年ランガナートスワミテンプル

のヴァイクンタ エーカーダシーの

お祭りの時の象さん、集まってくる

人の頭にちょこんと鼻先を当てて

祝福してくれます。)

 

 

伝統的なYogaの経典には、

瞑想をはっきりと定義する言葉が

記されています。

 

सगुणब्रह्म विशय मानस व्यापार:।


サグナブランマ ヴィシャヤ 

マーナサ ヴャーパーラハ


瞑想とは、心を1つの対象
(具体的には、全体世界の秩序と

法則の姿)につなぐ、
心でする行いのことである。

 

 


経典『ヴェーダーンタサーラ वेदान्तसार्』
それによると、

 

“心でする行い”
それこそが瞑想だという。


だからこの定義に沿っていないものは、
厳密には瞑想とは普通いわない。

記されています。

 

ここでは、

こころ、心、マナスを

一つの対象に

つなぐと

言っています。

 

心を扱っています。

 

からだ身体のことは

言っていません。

 

からだは、心の器だからです。

 

 

 

ここで少し身体のことについて。

 

身体は、

私たちが

地上での活動に必要な

洋服のようなものです。

 

または、地球という

旅行先で借りた

レンタカーのようなものです。

 

ある期間借りて使い、

期間が来たら、

返すだけです。

 

身体のことに

気を使うことも大事ですが、

それは、

おまけです。

 

例えば、

旅行先のグァムで、

レンタカーを借りたとします。

赤いコルベットのオープンカー

だったとします。

 

もし、あなたが

赤いコルベットが大事で、

気になって

グァムの観光が、

あまり出来なかったとしたら、

どう思いますか?

 

グァムの観光が目的で、

旅行に来たのに

何しに来たんだとなります。

 

確かに

赤いコルベットが目的の人もいます。

コルベットファンはいます。

そのグループは

そのグループでいいのです。

 

からだ身体のことに

執着することは、

それは、それで、

大事な体験学習をしてますから、

それはそれでいいのです。

 

それも大事なプロセス、

過程なのです。

 

かさぶたが、

自然にはがれるように

かさぶたの時期が

あっていいのです。

 

かさぶたを無理にはがすと

傷になって跡が残ったり、

また、傷から血が出ることも

あります。

 

だから、

身体のことが

気になっている人は、

それは、それで

正しいプロセスの中に

います。

 

何かにこだわったり、

何かにエネルギーを使ったり、

何かに中毒になったり。

 

言いたいことは、

身体よりも

心が大事で、

心の体験学習、成長が大事だと

言いたいのです。

 

身体のことであまり悩まずに、

最低限使えれば、

地上での活動は

充分なんです。

 

また、最低限使えないことも

それもまた、

心を成長させる貴重な体験

なんです。

 

身体よりも心を扱うと

いうことです。

 

ヨガアーサナは、

瞑想のための準備体操みたいな

ものです。

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(ヴァイクンタエーカーダシーのお祭り

でヴァイクンタに繋がるとされる

黄金の北の門に並ぶ人たち、2018年)

 

 

話を戻して、

こころ心が取り扱われる

ということですね。

 

サンスクリット語では、

こころ心は、マナスと言います。

 

では、次に考えるのは、

マナスって何ですか?

 

マナスをつなぐって、

どうゆうことですか?

 

一つの対象って何でもいいのですか?

 

何で一つなんですか?

二つじゃダメなんですか?

 

など、疑問を持ちますよね。

 

 

疑問を持ってくれたら、

私としては

成功なんです。

 

疑問さえ持ってくれ無い人が

ほとんどですから。

 

疑問を持つこと、

疑問を考えていることが

プロセス、過程の中での

マイルストーン

キーポイントになります。