瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

バクタパラディーナという考え方の話

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インド人には、バクタパラディーナbhakta paradhinaという

考え方が根底にあります。

日本人には無い、バクタパラディーナの思考について、

少し話します。

 

 

話しはそれますが、

日本では、『私は無宗教です。』

という方がいると思いますし、

周りも認めてくれると思います。

 

 

ですが、

インドとか、海外では、

『私は無宗教です。』

(No religion)

とは絶対言わない方がいいです。

 

 

無宗教』と言うと

相手の顔が明らかに変わり、

対応が変わるからです。

 

 

なぜなら、

海外特にインドでは、『無宗教者』

イコール『悪魔崇拝者』、『テロリスト』など

とみなされる事があるからです。

 

 

神は存在しないと信じていて、

全て宗教を否定していることになり、

相手にケンカを売っていることになります。

 

 

無宗教者』は信仰の無い人と思われ、

アウトカーストのように思われることも

あります。

 

 

インド人と友達になると

初対面でも、結婚しているか?

宗教は何か?仕事は何か?

と聞いてくるので、

 

 

ブッディストとか、

ジャパニーズシントーとか

クリスチャンとか

はっきり明言した方がいいです。

 

 

話しを戻します。

バクタパラディーナの話しです。

 

 

まず、バクタとは何でしょうか?

 

 

バクタBhaktaとは、

宗教的な献身者のことです。

サンスクリット語

『分け持つ』という意味の言葉から来ています。

神に対する無条件の献身と

神からの恩寵という愛の関係性です。

愛という器を神と2人で分け持っていると

いう意味になります。

 

 

では、古典から観てみます。

 

 

シューマッド・バーガヴァタム9.4.63節

日本語意訳

 

 

バガヴァンクリシュナはこう言いました。

『私は私の帰依者バクタに依存しています。』

『確かに独立していません。』

『まさにそのとうりです。』

『それは、すべての物質的な欲望から

完全に解放された純粋な帰依者バクタによって、

私の心はコントロールされている。』

『私はバクタの心の座にしか座っていません。』

『私のバクタに献身的に使える者もまた、

私の愛する者である。』

 

 

説明ーーーー

クリシュナ神は言いました。

神はバクタに依存しています。

身の回りのお世話をしてもらっています。

家庭での日々の儀式プージャ祈りに

支えられています。

 

 

物質的な欲望から完全に解放された純粋なバクタとは、

心に物質的な欲望が無く、

バクタの唯一の願いは、神のこと、

神に良く仕えることを常に考えることです。

 

 

この意識状態にあるバクタを神は愛しています。

この意識状態をアービラーシター・シューニャと言います。

この意識のバクタの願いを叶えてあげたいと

神は常に思っています。

 

 

つまり、神は、バクタによってコントロールされています。

神は、バクタの完全な支配下にあります。

神は、バクタに仕えるしもべです。

バクタは神に仕えるしもべです。

お互いにお互いのしもべです。

 

 

バクタは神を愛しています。

神はバクタを愛しています。

バクタと神は愛で繋がっている状態です。

 

 

今まで偉大なバクタがいました。

 

 

ナーラダ仙、ヴィヤーサ仙、シュカデーヴァ仙、ゴースヴァーミ仙など。

クリシュナ神に仕える偉大なバクタに

バクタとして仕えなさい。

 

 

直接クリシュナ神のバクタになるのではなく、

バクタのバクタになりなさい。

しもべのしもべになりなさい。

献身者の献身者になりなさい。

それが最初のステップです。

 

 

バクタのバクタも神が愛する者です。

献身者の献身者となることが、

献身を学ぶこととなります。

 

 

偉大なバクタを見本とすることが、

神への献身を速く、確実に

身につける道となります。

 

 

山岳ガイドに案内され、

安全に山頂にたどり着くように、

偉大なバクタに案内され、

神という山頂に到着するのです。

 

 

偉大なバクタとは、

あなたのグルのことなのです。

 

 

まとめーーーー

バクタパラディーナとは、

神がバクタに仕えるということです。

 

つまり、神がバクタの願いを

なんでも叶えてくれるということです。

 

 

後書きーーーー

インドにもたくさんの神がいます。

そして、

シヴァ神のバクタ、

ヴィシュヌ神のバクタ、

ラクシュミ女神のバクタ、

ガネーシャ神のバクタ、などなど。

バクタの種類もたくさんあります。

 

 

シヴァ神は、シヴァ神のバクタだけに仕えるのです。

ヴィシュヌ神ヴィシュヌ神のバクタだけに仕えるのです。

ラクシュミ女神はラクシュミ女神のバクタだけに仕えるのです。

ガネーシャ神はガネーシャ神のバクタだけに仕えるのです。

 

 

この神だけに仕えるという選択性からスタートして、

唯一神が、他の神の内側にも住むという

多様性に発展していきます。

 

 

私の愛する神が、

私が必要とする時はすぐに

人生の答えを

教えてくれるという信頼感で

献身的に神のお世話をしています。

 

 

バクタの願いは、

いつまでも神のお世話を

させてください。

生まれ変わっても、

また、神のお世話をさせてください。

ということだけなのです。

 

 

もし、2023年の現代に

生きている

偉大なバクタを見たのなら、

その人があなたの仕えるべき

グルだと思ってください。

(終わり)