瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

ガジェンドラ モクシャ スートラの話し

象のガジェンドラ王の開放の詩

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ガジェンドラ モクシャ スートラ

というお話しは、

象のガジェンドラ王の解放の話しです。

 


この物語は、

ヴァーガヴァタプラーナ(Bhāgavatapurana ヒンドゥー教

聖典の一つで、ヴィシュヌ神の有名な伝説の1つです。)

の中のお話しです。

 


このエピソードでは、ヴィシュヌ神は、

象のガジェンドラ王を

狂暴なワニ、クロコダイル(別名マカラまたはフーフ)の

捕獲から助け出すために地上に降りてきました。

 


ヴィシュヌ神の助けを借りて、

ガジェンドラ王は

解放モクシャ、つまり、

生と死のサイクルからの解放を

達成しました。

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その後、

ガジェンドラ王は神(ムクティ)の

形になり、

ヴィシュヌ神と一緒にヴィシュヌ神

住む天国ヴァイクンタに

登って行きました。

 


この物語は、パリークシット王の要請により、

聖者シュカによってパリークシット王に語られました。

パリークシット王はこの物語を聴いて、

解放を得ました。

 


この物語は、苦しみの人生から

解放を願う人の

讃美歌なのです。

 

 

 

 
かつて、ヴァルナ神によって作られた

リチュマットという
美しい庭園に住んでいたガジェンドラという象の王様が
いました。


この庭はトリクタ山にありました。
「三峰山」とも呼ばれていました。


ガジェンドラは群れの他のすべての象をまとめていました。
みんなで、仲良く暮らしていました。


ある日、いつものようにガジェンドラは近くの湖に行き、
蓮の花を摘んでヴィシュヌ神に祈りを捧げていました。


突然、湖に住むワニが現れて、
ガジェンドラを襲い、
足に噛みついて捕まえました。

湖の泥地に引き込みました。

 


ガジェンドラは長い間、
ワニの捕獲から逃げようと
もがきましました。

叫びました。
「パオーン!」

 


ガジェンドラの声を聞いた
彼の家族、親戚、友人全員が
彼を助けるために集まって来ました。

 


しかし、無駄でした。
ワニも必死でした。
ワニは簡単に手放すことは

ありませんでした。

 


時間が、1時間、2時間と過ぎ、
ガジェンドラは、弱って来ました。

 


家族や友人は、ガジェンドラに

「死」が近づいてきたことに

気づきました。

 


そのとき、ガジェンドラを

助ける方法がなく、
途方にくれて、見つめるしか

ありませんでした。

 


ガジェンドラは声がかれるまで叫び、
痛みと無力感に打ちのめされました。

 


「何で俺が!
どうしてこうなったんだ?」

 


ワニとの闘争は

終わりがないように見え、
もうこれ以上は無理だと悟りました。

 


ガジェンドラが最後の最後の一滴の

エネルギーをふりしぼって、

天を仰ぎ、祈りました。

 


ガジェンドラは、
「助けてください!神様!」
叫びました。

 


毎日祈りを捧げていたヴィシュヌ神

呼びかけ、
供物として蓮の花を空中に掲げました。

 

 

ガジェンドラの

呼びかけと祈りを聞いて、

ヴィシュヌ神はその場に

あらわれました。

 


ガジェンドラは神が

光と共に来るのを見ながら、

泥に沈みながら蓮の花を

持ち上げました。

 


これを見て、

ヴィシュヌは喜んで、彼のスダルシャナチャクラで、

ワニを斬首しました。

ガジェンドラは助けられました。

 


ガジェンドラは神の前で

身をかがめました。

助けてくれた神様に頭を下げました。

 


ガジェンドラは、魂の解放である、

ムクティも得ていました。

 


そして、ガジェンドラが落ち着きを

取り戻した様子を見て、

ヴィシュヌは、ゆっくりと

話し出しました。

 


ガジェンドラが、彼の前の人生、

前世での

出来事を話しました。

 


ガジェンドラは、

インドラディアムナ王という

ヴィシュヌ神の信奉者でした。

 

 

しかし、

偉大な聖者アガスティア

無礼をしてしまい、呪いによって

彼は象に生まれ変わることに

なっていました。

 


解放を得た今となっては、

象の人生を最後の地上の生として

体験して、

解放ムクティを得るという

ガジェンドラのために組み立てられた、

オーダーメイドの

愛情のこもった恩恵だったのです。

 

 

 

(ガジェンドラとして)彼のすべての

誇りと疑いを捨てて、完全に神様に

身を委ねたとき(バクティ)、

最終的にモクシャに到達することができました。

 

 

 

この機会にガジェンドラが

行った祈りは、

ヴィシュヌを讃える有名な賛美歌と

なり、

ガジェンドラ・シュトゥティと

呼ばれました。

 


शुक्लांबरधरंविष्णुंशशिवर्णंचतुर्भुजं。
प्रसन्नवदनंध्यायेत्सर्वविघ्नोपशान्तये。
śuklāṃbaradharaṃ viṣṇuṃśaśivarṇaṃ caturbhujaṃ |
prasannavadanaṁ dhyāyēt sarvavighnō paśāntayē ||

 

 


 

 

ガジェンドラは、前世では、ヴィシュヌ神のバクタでした。

偉大な王、インドラディウムナ王という人でした。

 


ある日、偉大なリシ(賢者)である

アガスティヤが

王を訪ねてきましたが、

インドラディウムナ王は座ったままで、敬意を持って

賢者を受け入れるために立ち上がることを拒否しました。

 


アガスティヤは激怒し、彼の善行の

偉大さにもかかわらず、

強大な王がまだアハンカラ、または

エゴイズムの痕跡を

持っていることに気づきました。

 


そして彼は彼の次の誕生で彼が

象のガジェンドラとして

生まれるであろうことを王に

明らかにしました。

 


彼は、自己を放棄して

主に委ねなければならないという

難しい方法を次の人生で学ぶでしょう。

 

 

さらに、
ガジェンドラの足に噛みついて

池に引き込もうとしたワニにも

ストーリーがありました。

 


そのワニの前世は、

フーフHuhuと呼ばれる

ガンダルヴァの王でした。

 


賢者デバラがフーフ王を訪ねてきて、

二人が川で沐浴していた時のことです。

 

 

デバラがスーリヤ(太陽神)に

祈りを捧げていたとき、

フーフ王は賢者の足をいたずらのために引っ張ったのです。

 


賢人デバラは激怒し、フーフ王を呪って次の人生で

ワニになるであろうと預言しました。

 


悔い改めた王は賢人の許しを

請いました。

しかし、

もう言葉が発せられた後なので、

デバラは、呪いを元に戻すことは

できないと説明しました。

 


賢者デバラは、ヴィシュヌ神

ワニを殺し、生と死のサイクルから

彼を解放することがフーフ王に

祝福として授けられると話しました。

 

 

フーフ王は、ワニという役割を

演じる人生でしたが、

それも神の恩恵でした。

 


そして、解放を得た

ガジェンドラは、ヴィシュヌ神から、

 

 

ひとつ恩恵を授けるから

何でも言いなさいと言われて、

こう、答えました。

 


「ありがとうございます。

今、私が解放され、

ムクティが授けられました。

この解放ムクティは、

私を苦しめたワニのフーフ王が

いなければ、決して

得られませんでした。

溺れて死にそうなときは、殺してやりたいと心から思いましたが、

解放した今は、彼を助けたいという思いだけです。

是非とも神様、ワニのフーフ王に

解放ムクティを

お授けください。

お願いします。

私の願いはそれだけです。」

 


優しく微笑み、

ヴィシュヌ神は言いました。

「そうなるであろう。」と。

 

 

 

 
ガジェンドラ物語は人生のテーマです。

ヴィシュヌ派と偉大な象徴的価値を

持っています。

ガジェンドラは男で、

ワニは罪であり、

湖の泥水があるのは人生サンサーラ

 


ガジェンドラ・モクシャの

象徴的な意味は、

物質的な欲望、無知、罪が

この世界に無限のカルマの連鎖を

生み出し、泥だらけの池に閉じ込められた無力な象を捕食する

ワニに似ているということです。

 


したがって、人間は、この創造物の

すべてを超えて、

最終的に最高の神様に委ねることが

できる日まで、

死と再生の継続的なサイクルでグルグル回ります。