瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

執着に気づくこと

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瞑想バカの滝さんのひとりごとブログ

執着に気づくこと

 

あなたの執着は、あなたの中に

あります。

あなたの外側にはありません。

 

執着は、心を硬くします。

柔軟に対応出来なくなります。

 

執着は、足かせです。

前に進めなくなります。

 

あなたは、ストレスが溜まってイライラして、執着、こだわっていませんか?

 

 

エスミーとノーミーの例え話。


エスミーとノーミーという名の2人の僧侶が僧院に戻るところでした。


途中、2人は川を渡らなければなりませんでした。


すると、女性の泣き声が聞こえてきました。


彼女は川を渡ることができずにいたのですが、子供が家で待っていたので、急いで戻る必要があったのです。


エスミーは彼女に近づいて、

話を聞いてあげ、川を渡る手助けをしてあげることにしました。

 

エスミーは、彼女を背中に乗せて

川の流れを渡りました。

 

彼女は僧侶に感謝して、

家に帰って行きました。

 

道を進んで1時間ほどしたところで、もう一人の僧侶のノーミーが

口を開きました。


「イエスミーよ、あそこの川であなたが

何をしたのか分かっているのか?」


「師は『女性を見てはならない』

と言われたのに、

君は彼女を見て近づいた。


師は『女性と話してはならない』

と言われたのに、

君は彼女の近くで親身に話した。


師は『女性に触れてはならない』

と言われたのに、

君は彼女を背負って川を渡った。」

 

「あなたは、師の教えに背いて、女性と

話して、女性に触れた。」

 

エスミーはこう答えました。
「そうだが、私はもう1時間前に彼女を降ろしていた。
まだ彼女を背負っているのは、君の方だよ」

と言いました。

 

さらに、「困っている人を見過ごそうとしたのも、君の方だよ」

と言いました。


この2人の登場人物は、私たちの内側の二つの意識状態を表しています。


苦しみの状態は、基本的な気分は悲しみ、苛立ち、怒りに満ちています。


美しい気づき状態は、一体感や穏やかさ、喜び、勇気に満ちています。


エスミーは美しい気づきの意識状態を表しています。

 

ノーミーはストレスに満ちた

イライラ状態を表しています。


ノーミーはその出来事が起こる前にも、その最中にも、起こった後にもイライラしていました。


彼の苛立ちは物事を複雑にさせ、

非合理的に行動させました。

 

ノーミーは、人を助ける僧侶でありながら、師の教えを自分だけは守りたいと

固執して、困っている女性を見過ごそうとしました。

 

ノーミーにとっては、女性を助けないことが正解でした。

 

ノーミーは、イエスミーが師の教えを

破って女性に触れたということを

1時間ずっと考えていました。


エスミーは行為に集中し、行為を完了した後は、そのことを完全に手放していました。

 

エスミーは、もう忘れていました。


地上のいかなる人間も、生きている状態は、たった二つしかありません。

 

気づきの状態か、

苦しみの状態か。

二択です。


その人が仏教徒でも、キリスト教徒でも、イスラム教徒でも、ヒンズー教徒でも、無宗教でもです。


この世界の誰もが、人生を二つの意識状態からしか体験していないのです。


一つは、苦しみの意識状態であり、

もう一つは美しい気づきの意識状態

です。


苦しみの意識状態では、

あなたは人と関わったり、何をしていても、イライラしてストレスに満ちた状態からそれを体験しています。


心配したり、ストレスを感じたり、怒ったり、怖がったりしています。


ですから、苦しみの意識状態は、

明らかにあなたの内側の世界を破壊するものです。


そして、それが今度はあなたの外側の世界に影響していきます。

 

人間関係、勉強、学校、仕事、収入。


ストレスを感じた時、あなたは普段、どうしますか?

 

一つ目のパターンは、
あなたはストレスに浸りきり、ごく長期間に渡ってストレスに満ちた状態で生活します。

 

二つ目のパターンは、

自分の気持ちを紛らわせるために

発散します。
娯楽や、時には、中毒化していることによって気を紛らわせるのです。


そして、はしゃいで興奮してドーパミンが昂ぶった状態を体験しますが、ひとたびドーパミンが低下すると、また人生に対して意味のなさや目的感のなさ、孤独を味わいます。


三つ目のパターンの人々は、

不都合な信念をより都合の良い信念と入れ替えます。


観察してみると、古い信念を入れ替えようとすればするほど、その古い信念はより強く、パワフルなものとなってしまいます。

 

例えば、黒人の奴隷の歴史から、白人至上主義まで、呼び名はいろいろ変わりますが、問題は「差別」です。

学校でも、職場でも、グループでも、

大なり小なり「差別」はあります。


他方、美しい気づきの意識状態は

愛、喜び、つながりを体験し、

自分が人生で何をしたいかがはっきりしています。

 

自分の心に気づいています。


この心の成長の旅は、

スピリチュアル的な探求者だけの

ものではありません。


この旅は、幸せな人生を生きたいと

願う人、皆のためのものです。


残念なことに、社会や教育システム、

私たちの親は、自分の内側に注意を向けるということをしてきませんでした。

 

自分の心に気づきを向けて、

自分の心を観察することをしてきませんでした。


彼らは美しい気づきの意識状態で

生きるということが大切だとは

思わなかったのです。


それは教育の一部には入っていませんでした。


何かを達成したり、物や人を所有したり、地位を示すことが大切だったのです。

 

結果や成果やお金が大事でした。


でも、自分が心で何を感じているかということに努力をかけたり、注意を向けることはほとんどありませんでした。

 

すると、心が壊れてしまいます。


私たちが過去の生活や過去の拒絶、損失、分離を体験し、また、

苦しみを経験するにつれ、私たちは

「苦しみの意識状態」をどうしたら良いのか、本当に分からなくなってしまうのです。


そして、私たちは個人や組織、社会、地域社会を助け、ストレスに満ちた

「苦しみの意識状態」から

美しい「気づきの意識状態」へ

移行することが大事だと思います。

 

それは、分離からつながりへ、

そして分裂から「ひとつ」と

感じることに移行させることが

必要だと思います。

 

では、呼吸に気づきを向けて、心が

落ち着いたら、次に苦しみに

気づきを向けます。

 

ゆっくりと目を閉じます。

 

肩の力を抜き、顔に笑顔を作って

深呼吸します。

 

ゆっくり吸って、微笑します。

ゆっくり吐いて微笑します。

 

顔の微笑をキープして、

呼吸観察を少し続けます。

 

落ち着いたら、

ゆっくりと手のひらを

胸に当ててハートに意識を向けます。

 

「昨日、今日で、一番イライラしたことを思い出させてください。」

 

「そのときの感情を再度感じさせてください。」

 

ゆっくり吸って、

ゆっくり吐いて、

顔に笑顔を作ります。

 

ハートに意識を向け、

ハートの感情に意識を向け、

ただ感じ、観察して、

イメージで

優しく笑顔で癒していきます。