瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

人生の決断の話

瞑想バカの滝さんのひとりごとブログ

人生の決断の話。

 

迷った時は、選べない。

 

人生で、

「私、どうしたらいいの?」

と思う時に正しい選択が出来ないことが

あり、後悔してウジウジ悩むことが

あります。


私たちの人生で、
正しい選択を考えてみます。


これから説明する、
「スピリチュアル的に正しい行動」

とは、規則やルールに従うこととは

大分違います。

 

社会の法律や規則やルールはちゃんと

守ってください。


道徳的に正しいことと
間違っていることとの間に
葛藤があるとき、
また、倫理的に正しいことと
間違っていることとの間に
葛藤があるときに、
「スピリチュアル的に正しい行動」

をとるべきです。


聖書から例を挙げましょう。


これは「ペトロの否認」と呼ばれる、
聖書の有名な逸話です。

 

最後の晩餐の時にイエスがペトロに

予言をしました。

 

「ペトロよ、おまえは、鶏が鳴き声を

上げるまでに、三度否認するだろう」


最後の晩餐の後、イエスが捕らえられ、大祭司の審理に連行された時、
ペトロと何人かの人々は
エスの後を追って大祭司の法廷に
様子を見に行きました。


そこには法廷の人々がおり、様子を
うかがっていると周囲からペトロが
エスの弟子であることを
見やぶられました。


「お前もイエスの弟子だろ。」と
詰め寄られ、
「違う」と、否認しました。


ペトロはイエスとの関係性を
否定しました。


エスなどまったく知らないと
主張しました。


再三詰め寄られ、ぺトロが三度目に
否認した直後に鶏が鳴き声をあげ、
ぺトロは、イエスの予言の言葉を

思い出し涙にくれました。


ペトロはとてつもない罪悪感に
苛まれました。


恥を感じ、激しく泣きました。
恥と後悔に包まれたのです。


聖書が描いているのは、
愛する人を支持することと
自分が生き延びることの間で、
善悪の判断に葛藤するという、
ペトロの複雑な状況です。 


あなたがペトロの立場だったら、
どうしますか?


少しの間、考えてみてください。


大事な人の為に命をかけますか?


一時の侮辱に耐えて生きますか?


自分が道徳的に葛藤する立場に
立っていたらどうするだろうか?
と考えてみてください。


悲しいことに、
貧しい国では、最近まで、
あるいは今でも、医師たちが
このような立場に立たされています。


貧しい国の医師たちには、
限られた薬と設備しかありません。


医師は、患者のだれに人工呼吸器を

装着してあげられるのか、

患者のだれがサポートを得られないか

を「決断」しなければ

なりませんでした。


誰を生かすか、

誰の治療を停止するか、
選択しなければなりませんでした。


人間の人生は複雑さに満ちています。
すべきか、せざるべきか?


助けるべきか、ノーと言うべきか?


待つべきか、尋ねるべきか?


買うべきか控えるべきか?


赦すべきか謝罪を求めるべきか?


「イエス」と言うべきか、
「ノー」と言うべきか?


与えるべきか、与えざるべきか?


我慢すべきか、要求すべきか?


疑うべきか、信頼すべきか?


留まるべきか、去るべきか?


信用すべきか、気をつけるべきか?


気にかけるべきか、無視すべきか?


 
このような状況において、
人は何が「正しい行動」かが

わかりません。


人間の存在のこのような深い
ジレンマがある時には、
「スピリチュアル的に正しい行動」
があなたの指針となるでしょう。


「スピリチュアル的に正しい行動」は、
人生の真っ只中であなたが内側に
向かって旅した結果です。


ごく簡単な言葉で言うと、それは
「正しい決定」から始まります。


あなたは「気づきの状態」から
「正しい決定」をします。


「気づき状態」とは、
自分自身とつながりを感じる、
周りの人々とつながりを感じる、
直面している状況に自分がつながって
いるのを感じるということです。


何をするべきかを選んだら、
「気づき状態」から行動を起こし、
完全に平穏な心で人生を前進します。


理想は一度捨てて考えてみるべきです。


理想に囚われていると、
あなたは葛藤し続けます。


苦しみに身動きが取れない状態です。


あなたのハートは死んでしまいます。


というのは、常に理想に合わせようと
し続けるからです。

 

理想があなたの足かせになります。


人生でこうなる事がありませんか?


時々、あなたが迷ってしまって、
行動ができないという状態におちいって
しまい、周りの誰かが助けに来て、

その人が自発的に行動できるという

ことが起きます。


なぜなら、その周りの人々はその時、
つながりという「気づきの状態」に
あったからです。

 

周りの人は、客観的に見ていて

冷静に動くことができました。

 

周りの人には、理想がありません。


理想は私たちを制限します。


理想があると、
フラストレーションや後悔が起きます。


「気づき状態」で生きる方法が

分からない時、人はほとんど理想に

頼ります。


そんな時、常識に合わせて決めようと

したり、社会や倫理が定めた基準に

沿って生きようとしたり、
宗教が定めた基準に合わせて
生きようとします。


そして、このような理想が駆り立てる
行動は、しばしば人を麻痺させたり、
不調和を起こしたり、人生のさらなる
混沌を招いたりします。

 

悩み、悩んで決めたのに、さらに

悩みが増えたりします。

 

理想が必要無くて、ただ自動的に

従うことがあります。


交通規則に従ったり、自国の規制を

守ったりする時、理想は必要では
ありません。


これらは規則であり、理想ではない
のです。行動の規範であって、
法規なのです。


理想というものは、異なります。


理想は、あなたの「自己感覚」を
規定します。


あなたの「アイデンティティ」を
規定します。


理想はあなたが道徳的に
良い人か悪い人か、
ある状況で正しいか間違っているかを
規定します。


この道徳的なジレンマに対する
答えを見つける唯一の方法は、
つながりという「気づきの状態」に
自分自身が「依り立つ」ことです。

 

「気づきの状態」になるということ

です。

 

自分の呼吸が、吸っているのか

吐いているのかわからない、

落ち着かない状態では、

間違った選択をします。

 

呼吸に気づきを持って、

落ち着き、シンプルに

考え、選択しましょう。

 

では、呼吸観察を始めましょう