瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

サッチダーナンダの話し

瞑想バカの滝さんの独りごとブログ
サッチダーナンダの話し

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(チェンナイのプーナマリ地区の

村の小さな寺院、プジャーリが

いろいろ教えてくれました。)

 

 


瞑想の対象には、
あなたの好きなもの何でも選べます。

 

 


無限に対象があります。

 

 


あなたの好きな、
ぬいぐるみの
熊さんでもいいのです。

 

 


本当に熊さんでもいいのです。

 

 


熊さんから始めたら
何千年もかかりそうですが。

 

 


何でも良いのですが、
おすすめが知りたいですよね。

 

 


何千年も、ヨギが
臨床研究して確かめられ、
使われているのが、

 

 


ブラフマンです。

 

 


ブラフマンの定義は、
サット、チット、アーナンダです。

 

 


ブラフマンब्रह्मन्」の

定義の3つの言葉は、

 

 


「サット・チット・アーナンダ
 सत्  चित्  आनन्द 
(存在すること、知性、

限りなく満ちるもの)」

 

 


この3つの言葉の意味が、
私たちの瞑想の対象です。

 

 


これを言いやすくして、
サンスクリット語では、

 

 


サッチダーナンダと言います。

 

 


サッチダーナンダと聞こえたら、
ブラフマンのことです。

 

 


または、パラブランマ
と言われ、

 

 

 

パラブランマは、
高次のブラフマンのことです。

 

 


このブラフマンは、
シヴァ、ヴィシュヌ、より高次の
エネルギー源みたいな物と
最初はお考え下さい。

 

 


形はありません。

 

 


エネルギーです。

 

 


このサッチダーナンダのことは、

 

 


私たちの普段の生活では、
なんのことですか?と
思うとおもいます。

 

 


私たちの普段の認識とは正反対に、
聖典は自信満々に、力を込めて

言います。

 

 


「あなたの目の前の事実は、

すべて、

 

 


ブラフマンです。
(存在するもの・知性・認識の源、
あまねく広がり満ちるもの)と。

 

 


もし、理解しがたいことだとしたら、
私たちの認識の方に

問題があるのかもしれません。

 

 


落ち着いて考えてみます。

 

 


すると、
私の目の前の現実は、
ブラフマンではない。

 

 


はっきり思います。

 

 


ここからスタートして、
この認識が逆転することが
瞑想です。

 

 


私の目の前の現実は

ブラフマン』じゃない!」

 

 


サッチダーナンダなんていうのは、
ウソだ。

 

 

 


私は、存在し、知性で、

広がり満ちるものだと
1ミリも思えません。

 

 

 

このサッチダーナンダがウソだ。と
全否定からスタートして、

 

 


目の前は、サッチダーナンダだけだと、
サッチダーナンダであふれていると、

 

 


リアルに観るように

脳機能が変化します。

 

 


では、
私たちが目の前の事実に

抵抗していることを

考えてみましょう。

 

 


1、“ 私はいる”。と感じない。
  私は存在すると感じないから。
  私は存在と分離しているから。

 

 


本当の私は、“私は

『サットसत्(存在・真実)』です”。

 

 


2、"私は知性とつながっている。"

と感じない。
  私は知性と分断しているから。

 

 


本当は私は

「チットचित्(知性の源)」です。

 

 


3、"私は広がり満ちる幸福と

感じない。"
  私は広がり満ちる幸福と

切断されているから。

 

 


本当の私は

「アーナンダआनन्द(満ちていること、
広がること、幸福)」です。

 

 

 


今日のまとめ、

 

 


私たちは生まれて

幸せに成りたいと思って生きている。

 

 


しかし、
私たちは、大きな幸せと分離して

分断して切断されて
生きている。

 


幸せとつながりを回復したらいいと
思っているが、出来ていない。


 
古代の賢者は、サッチダーナンダを
瞑想の対象にして、サッチダーナンダと
つながって、

 


サッチダーナンダの体感をした。

 


私は、つながった存在で、知性が流れ、
ふつふつと理由のない幸せが

広がっている。と。

 


こんな体験が私たちに出来るだろうか?