瞑想バカ-滝さんのひとりごと

瞑想バカ-滝さんのひとりごとです。東京在住49歳男性瞑想バカが、瞑想歴30年になり思うところあり、自分のような引きこもり系の人へ向けてひとりごとを言うブログです。

シュリグルギーターの話

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シュリグルギーターの日本語訳が出版されましたので、

紹介します。定価2600円です。

(ナチュラルスピリットさんから)

 

 

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この本はシヴァ派の経典です。

 

聖者ヴェーダヴィヤーサが書いた

 

スカンダプラーナの中の

 

一部の詩節です。

 

 

シヴァの特質について書かれた詩節に続き、

 

シヴァが、妻の女神パールヴァティー

 

解放を達成する方法や、

 

グルの原則、グルを崇拝する適切な方法、

 

グルギーターを繰り返し唱える方法と

 

その利点を説明しています。

 

 

 

『グル』とは、インドでは

 

人生の暗闇を取り除き、

 

心の光を明らかにする者と

 

説明されています。

 

 

多くの日本人は、人間崇拝、個人崇拝は、

 

悪いものだという考え方が

 

強くあります。

 

 

ここには、解放を目指す修行者『私』が、

 

『グル』とどのような

 

関係性を持つのか?

 

が描かれていますので、

 

関係性に注目して

 

読んでいただけたらいいなと思います。

 

 

個人的には、

 

『グル』と『私』の関係性を、

 

『全世界』と『私』の関係性に

 

拡張して行くストーリーだということが、

 

最近になってやっと理解できるようになりました。

 

 

 

『グル』には、自分の先生という意味と

 

何百代と続く伝統の流れを『グル』という意味があります。

 

 

『シュリグルギーター』は、『グル』つまり自分の具現化された

 

先生としての『グル』と、

 

『グル・タットヴァ』または『グルの原理』の両方への崇拝に

 

捧げられた詩を集めたものです。

 

 

 

多くのシヴァ派の帰依者は毎日グルギーター全体を繰り返し唱えますが、

 

『グル』の恩寵を得るため、

 

毎年グル プールニマ (7 月の満月) のお祝いの際に

 

グルプージャとグルギーターをチャンティングする人もいます。

 

 

 

この神聖な文書の起源は完全にはわかっていません。

 

遅くても5世紀ごろには成立しており、

 

その後スカンダプラーナに組み入れられました。

 

 

 

この話は、ヒマラヤの高地、カイラス山の住居での

 

シヴァ神と女神パールヴァテ​​ィーの間の神聖な対話であり、

 

信者の利益のために

 

人間の解放について話し合っています。

 

 

 

女神パールヴァテ​​ィーは、

 

夫のシヴァ神がサットグルに五体投地してひれ伏すのを見て驚き、

 

このグルへの献身と彼の謙虚さを

 

どうか説明するようにシヴァに求めました。

 

 

 

シヴァ神は、『グル』は悟りを開いた魂であり、

 

本質的に、グル、神、そしてすべての人の内なる自己は、

 

『一つである』と説明しています。

 

 

『グル』の人生は献身と無私の奉仕に満ちています。

 

スピリチュアルな道を照らし、暗闇を取り除き、

 

真我を知る方法を教えるのは『グル』です。

 

 

サンスクリット語学者で、

 

ノンドゥアル・サイヴァ・タントラの専門家である

 

ハリーシュ・クリストファー・ウォリス博士は、

 

この聖典の歴史の概要を次のように述べています。

 

 

『このテキストはインドのマハラシュトラ州で生まれました。

 

『シュリ・グル・チャリトラ』(マラーティー語で書かれた 1550 年頃の文書)

 

の第 49 章には、サンスクリット語の『シュリ・グル・ギーター』が含まれています。

 

 

一部の学者は、それがこのテキストに挿入され、

 

実際にはより古いものであると信じていますが、

 

その正確な起源はほとんど知られていません。

 

 

おそらく、グルに関するさまざまな情報源から

 

「最良の」詩を集めた何者かによって、

 

さまざまな情報源から編集されたものと思われます。

 

 

「これらの詩はカシミール サイヴァ タントラの情報源から抽出され、

 

バクティ ヨガとヴェーダーンタの要素と混合されました。

 

 

賢者スタは、シュリ・グル・ギーターの吟遊詩人であり、

 

そこに含まれるこれらの教えはもともと古代の口頭伝承から来ています。

 

マントラ プルシャの実践 (サンスクリット語の 50 の現象を身体に組み込むこと)

 

と創造主の神をチャクラに組み込むことが、

 

この聖句によって示唆されています。

 

 

 

インドにシュリ・ダッタトレヤという神がいます。


「シュリ・グル・ギーターとダッタトレヤの系譜とのつながりは非常に強いです。

 

シュリ・ダッタトレヤは、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの 3 つの頭を持つように描かれています。

 

彼はヒンズー教の伝統の複合神であり、

 

原初のグルであると考えられています。

 

現代のグルを遡って行くと、

 

シュリ・ダッタトレーヤに行き着くと言われます。

 

 

彼は 自然界の24 の側面または『自然の形態』をグルとしていたと言われています。」

 

自然も人々を教える『グル』なのです。

 

 

「シュリ・グル・ギーターは、

 

特定の神を瞑想したり視覚化したりする方法を説明する

 

イメージ瞑想の詩節の

 

ディアナ・スローカまたは視覚化の詩で始まります。

 

 

ウォリス博士は次のように説明しています。

 

それは、グルの原理である『グル・タットヴァ』を瞑想する方法を教えてくれます。

 

 

その『グルタットヴァ』とは何ですか?

 

あなたを暗闇から光に導くもの、

 

あなたの教師やあなたに教えてくれるものすべてが含まれます。

 

言い換えれば、私たちを無知の暗闇から知恵の光へと

 

動かす精神的なプロセスを促進するものはすべて、グル・タットヴァなのです。」

 

 

ディアナ・スロカ:

Haṁsābhyāṁ parivṛtta-patra-kamalair divyair jagat-kāraṇair
viśvotkīrṇam aneka-deha-nilayaiḥ svacchandam ātmecchayā |
Tad-dyotaṁ pasa-śāmbhavaṁ tu caraṇaṁ dīpāṅcra-grāhiṇaṁ
pratyakṣākṣara-vigrahaṁ guru-padaṁ dhyāyed vibhuṁ śāśvatam ||

 

 

ウォリス博士は以下のディアナ スロカを翻訳しました。

 

『人は、すべての神聖な音(サンスクリット語、50の音、宇宙の振動構成要素)

 

を目に見える形で具現化した、永遠に遍在するグルの状態について

 

瞑想すべきです。

 

人は、「ランプの炎」を保持する実践と行為、

 

つまり、世界の神聖な原因によって存在するすべてのものに刻まれている

 

自発的自由(スヴァッチャンダ)を照らす

 

シャンバヴァの状態(目撃の状態)について瞑想すべきである。

 

それはすべての体を住居として持ち、

 

そのチャクラの花びらが「ハム」と「サハ」によって回転する

 

「蓮華」(すなわちチャクラ)に組み込まれている。

 

人はグルの御御足を瞑想すべきです。』

 

 

解説:

「なぜ私たちはグルの足を瞑想する必要があるのでしょうか?

 

アヌグラハ、神からの恵みが足元を流れているからです。

 

このスローカは、私たちがグルの状態について

 

瞑想する必要があることを教えています。

 

状態とは何ですか?

 

それは永遠であり、すべてに浸透しています。

 

私たちは物理的な教師について話しているのではなく、

 

私たちの目の前にある

 

世界/宇宙の不滅の化身 ( pratyakṣākṣara-vigrahaṁ)について話しています。

 

「グルの状態は、すべての音素(現実そのものの構成要素)を

 

目に見える形で具現化したものです。

 

人はランプ(本質・自然の入れ物であるもの)の

 

炎(最も内なる自己、アートマン)を保持する実践と行為の形式について

 

瞑想する必要があります。

 

これは、ランプの炎を持つ世界における私たちの在り方を示しています。

 

さあ、自分自身に問いかけてください。

 

どのような形式の実践と行為が神聖な状態につながるのでしょうか?

 

この状態はシャンバヴァの状態(第三者として目撃の状態)、シヴァの神聖な状態、

 

そしてヨーガの道の目標である完全な覚醒です。」

 

 

さあ、グルの活動について瞑想してみましょう。

 

さあ、グルの教えに完全に浸りましょう。

 

なぜなら、これらのランプの炎にはシャンバヴァの状態、

 

つまり私たちの存在と存在そのもののあらゆる側面における

 

徹底的な自由の神聖な状態を伝える象徴が宿っているからです。

 

このグルの恩寵が私たちの道を照らしますように。

 

この神聖なランプの炎もあなたの『グル』なのです。

(終わり)

ムクンダ・マラ・ストットラムの話

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(ヴィシュヌ派の総本山のシュリランガナータスワミテンプルの

ヴァイクンタエーカーダシーのお祭りの写真)

 

 

ムクンダ・マラ・ストットラム(mukundamala stotram)の話

 

 

『オーム ナモー ナーラーヤナーヤ』(Om Namo Narayanaya)という

ナーラーヤナ神のマントラがあります。意味は、

『ナーラーヤナ神に礼を捧げます。』

 

 

これは、ヴィシュヌ派の主要なマントラです。

 

 

宇宙の水の上の蛇のベットに横たわった永遠の安息のお姿の

ヴィシュヌ神をナーラーヤナ神と言います。

ナーラーヤナ神に宛てた輪廻からの解放を祈るマントラです。

 

 

ナーラーヤナマントラは、ヴィシュヌ派の伝統の秘密のマントラでした。

ラーマヌジャが、私は地獄に落ちてもいいから、

皆さんが救われて、解放されますようにと

祈りを込めて、

ヴィシュヌ派に代々伝わる秘密のマントラを公開されました。

 

 

ナーラーヤナマントラの功徳は、いろんなプラーナ古典に

たくさん出てきます。その中でも

ナーラーヤナマントラと一緒に語られるのが、

ムクンダ・マラ・ストットラムです。

 

 

今日は、このムクンダ・マラ・ストットラムを

意訳してみます。

 

 

ムクンダ・マラは、ヒンズー教のヴィシュヌ派の詩人クラセカラ王子によって

作られたサンスクリット語の讃歌であり、クリシュナ神に捧げられました。

 

 

クラセカラ王子は、南インドのケーララ州の王族の出身でした。

タイトルのムクンダはクリシュナ神の別名です。

 

 

この詩は、バクティ(神への信愛の帰依)の体験が書かれたもので

ナーラーヤナマントラの重要性を語る根拠としてあげられています。

これはナーラーヤナ神の賛美歌です。

シュリランガム寺院では、毎日吟誦されています。

 

 

ナーラーヤナも、クリシュナも、ムクンダも

ハリもヴィシュヌ神の別名で同じ神として

賛美しています。

 

 

ムクンダ・マラ・ストットラム

(以下本文意訳)

 

 

1、蓮のような長い目、月のように白い歯、

ジャスミンと法螺貝、そのお御足はインドラ王と他の天界の神々によって
永遠に崇拝されており、ヴァスデーヴァの息子である、

クリシュナ神の生地ブリンダヴァーナの地に

住んでいるお方に敬意を表します。

 

 

2、善意を与えることしかできない私の主よ、
私が毎日神の名を唱えられるようにしてください。


「万物の主、すべての恩恵を与えられるお方よ、
慈悲の宝庫であるお方よ、すべての帰依者を愛するお方よ。」

などの御名を唱えてさせてください。 


この世界のすべての問題を消すことができるお方よ、
すべてのものの主であるお方よ、
蛇の上で眠っているお方よ、
そしてこの宇宙のあらゆる場所に住んでいるお方よ。

 

 

3、デヴァキの息子に勝利あれ、クリシュナ神の母に勝利あれ、
ヤドゥの家族に属するクリシュナ神に勝利あれ、

クリシュナ神の養父ナンダ・ゴパの家族に勝利あれ、
雲のように黒くて美しい手足を持つお方に勝利あれ、
ムクンダに勝利と不滅の至福を与える者に勝利あれ、

地球を明るく照らすお方に勝利あれ。

 

 

4、ああ、ムクンダ様、頭を下げてお祈りします。
ひとり静かにお願いします。


あなたの蓮のようなお御足を決して忘れさせないでください。
どうか、親切に願いを叶えてください。

 

 

5、ゴビンダのお御足のような蓮の花からの

蜂蜜(ヴェーダによって達成される者)は、

本当に驚くべきものです。

 

しかし、
それを手に入れた人は決して解放されません。

(ヴェーダの知識に偏った学者たちは解放されません。)
そして、ヴェーダの知識を手に入れなかった人は

ナーラーヤナマントラで常に解放されます。

 

 

6、ヴェーダの学者たちはあなたの二つの偉大な聖なる

お御足の前にひれ伏すつもりはありません。

(知識だけで、信仰がありません。)


ああ神よ、私の願いは

私たちを罪人が拷問されるクンビパカ地獄から

守ってもらうためでもありませんし、

美しい庭園で遊んでいる

魅惑的な乙女たちの官能的な柔らかい体の踊りの前で

もてなされるためでもありません。


あなたの救いたいという願いを

誕生から次の誕生まで記憶し続けますように。
私の心の宮殿にあなたが永遠にお住みくださいますように。

 

 

7、私はダルマにも、富や財産の収集にも、
情熱的な愛を交わすことにも興味がありません。


あなたが決めた宇宙の法則は、
過去からのカルマの形で必ず私にやってくるからです。


しかし私には魂の祈りが一つだけあります。

主よ、この誕生とその後の誕生において、あなたの聖なるお御足に
岩のような強い信仰を持たせてください。

 

 

8、斬鬼ナラカスラを殺した者である主よ。
私をこの世にいさせてください。
あるいはエーテルの世界、あるいは冥界にでも

どこにでもいさせてください。


ただし、私が死んでも思い出させてください。
あなたの美しい蓮のようなお御足だけを。

 

 

9、私はいつも誕生と死を取り除く者ハリ(ヴィシュヌ神の別名)

のことを考えています。


その笑顔が彼の蓮のような顔を飾り、
誰が真実の中の真実であり、
誰がナンダ・ゴパの息子であり、
誰が賢者ナラダ様によって崇拝されており、
そしてナラダ様のような賢者の群衆が崇拝しています。

 

 

10、これまでの困難な人生の道に疲れ果てた私は、

ハリ(ヴィシュヌ神の別名)の池の水を飲みます。

(ハリの名前を唱え続けるという意味)


そこでは彼の手と腕は蓮の花であり、
彼の輝く目は美しい魚の目のようであり、
そしてこの地球の人生の痛みと苦しみを永遠に

取り除いてくださいます。

 

 

11、ああ、気をつけてください。

永遠に神を考えることをやめないでください。
蓮のような目をしたお方のことです。


法螺貝と聖輪スダルシャナを持つ者、
そしてムラと呼ばれる悪魔アスラを殺した者について、

私はハリのお御足のような素晴らしい蜜の記憶以上に
偉大な喜びを知らないからです。

 

 

12、ああ、私の愚かな愚かな心よ、死の神が与える苦痛について
心配したり考えたりしないでください。

 

あなたの敵と罪がどうしてあなたに触れることができますか?

あなたの主人は偉大な主シュリドラ(女神ラクシュミーを運ぶ者)

ではないでしょうか?

この神への無関心を捨てて、

近づきやすいナーラーヤナ神に祈りましょう。

帰依者たちの悲しみをすぐに取り除いてくれるでしょう。

 

 

13、誕生と死の海を旅し、
あちらこちらに翻弄され、
愛憎のサイクロンに、
重荷を背負い、
息子、娘、妻を抱え、
そして溺れながら、
このやっかいな執着の海で、
唯一の船が、私たちを救ってくださいますように。

それは私たちの主ヴィシュヌ神です。

 

 

14、どうか心配したりしないでください、
どうすれば渡れるのですか?

決して渡ることのできない人生の深い海を、

ひたむきな献身のために、斬鬼ナラカを退治した神へ、

必ず私たちを連れて行ってください、必ず。

 

 

15、溺れながら私はこの海にいます、
誕生、死、そして人生の
情熱の風のせいで、
愛の神によってこの人生は始められました。
そして執着の重荷のせいで、
愛する息子に、
私が稼いで守り続けた富に、
私が切望している妻、
そして祝福を与える人へ、
どうか親切に私に救いの場所を与えてください。
献身的な船に乗って、
あなたの蓮華のお御足のように救いを与えてください。

 

 

16、この地球は塵の粒子となり、
海の水はほんの一滴となり、
燃え盛る炎は小さな火花となり、
吹く風は小さな動きとなり、
私たちを取り囲む空は小さな穴となり、
破壊の主シヴァ神そして創造のブラフマー神は

取るに足らないものになり、
そしてすべての神々は小さな昆虫のようになります。
もし私たちの主ムクンダ神が見られるなら、
神のお御足からの塵が私たち全員を帰依者にするのです。

 

 

17、ああ、世界の人々よ、
誕生、死、そして病気に対する万能薬を聞いてください。
それは偉大な賢者によって語られました。
古代の知恵が染み込んでいる、
ヤグナヴァルキヤ賢者の語るように、
それは内なる光だけであり、
蜜のようなものであり、
そしてその名前は「クリシュナ神」です。
なぜなら、この偉大な蜜を飲むと、完全かつ永遠である
最終的な解放が与えられるからです。

 

 

18、ああ、皆さん、

あなたにとって本当に良いことは何かを聞いてください。
できるだけ簡単に言うと、
あなたは人生という存在の海に溺れ、
不幸の大きな波が押し寄せています。
それはあなたをあちらこちらに投げやります。
ですから、この無駄な知識ジニャーナの探求はもうやめてください。
そして、頻繁に「オーム ナモーナーラーヤナーヤー」と唱え、

主の前に頭を下げてください。

 

 

19、私たちの主ナーラーヤナ神、人間の中で最も偉大なお方よ。
三つの世界を単独で統治され、
ただ呼吸を制御するだけで仕えることができるお方よ、
ご自分のすべてを私たちと分かち合うために来られ、
そして個人的に私たちの前に来てくださいました。


それでも私たちは何人かの身分の低い人たちにこき使われています。
誰が統治しているのですか?

このいくつかの小さい村で、
ささいな報酬とサービスのためにあくせくしています。
悲しいかな、悲しいかな、私たちはなんて愚かで惨めなのだろう?

 

 

20、頭を下げ、手を合わせて、
私たちは主に祈ります。
髪の毛を逆立たせ、
よろめくような声で主の御名を繰り返します。


涙があふれて私たちはナーラーヤナ神に祈ります。

「どうか、あなたの二本の蓮華のようなお御足から
蜜を飲ませてください」

そして、「私たちのために私たちの祈りの人生を続けさせてください。
ああ、蓮の目をされた主よ。」

 

 

21、白い粉をかぶった頭が最も高く、
主に頭を下げることによって粉が集められるところに

主ハリを見た後、

無知を離れたその目は最も美しい、
マドウの家に生まれた主を瞑想するその脳は、
白い輝きを持っています。

 

月と法螺貝、
そしてその舌は常に蜜を降り注ぎ、
それは主ナーラーヤナを讃美し、讃えます。

 

 

22、おお、舌よ、ケーシャヴァを讃美し歌え。
ああ、心よ、私たちの心の中の悪魔ラクシャサの

ムラを殺してくださった主を讃美せよ。


おお手よ、主シュリダラに仕えよ、
耳よ、アチュタを称賛する物語を聞いてください。


ああ、目よ、いつも主を見よクリシュナ神よ、
足よ、ハリ神の寺院に行きなさい。


鼻よ、トゥラーシ植物の匂いを嗅いでください。
ムクンダ神の両聖なるお御足から、
そしてああ、頭よ、

アドホクシャジャ神の御前にお辞儀をしてください。

 

 

23、聖なる言葉を暗唱することは森の中の叫びにすぎず、
ヴェーダの苦行を観察することは痩身運動にすぎず、
観察される聖なる犠牲ホーマは灰にギーを注ぐことにすぎません。


聖なる川で沐浴することは、象の沐浴にすぎません。
蓮華のお御足の記憶なしに行われた場合には。
したがって、主ナーラーヤナの勝利となります。

 

 

24、ああ、愛の神シヴァ神よ、

私の心からあなたの住む場所を変えてください。


私の心はムクンダの蓮の御足に占領されているからです。
ずっと前にあなたはハラ(愛の神シヴァ神)の燃えるような視線に

焼かれていなかったのですか?
それでもあなたはムラリ卿(ヴィシュヌ神の別名)の車輪という聖なるものを忘れています。

 

 

25、蛇の上で眠るハリを決して忘れないでください。
ナーラーヤナやマダヴァとも呼ばれるハリは、
デヴァキの最愛の息子であり、
デーヴァから崇拝されており、
武器として聖輪スダルシャナと弓サランガ
を持ち、まるで芝居のような世界、
宇宙の主とは誰なのか、
主シュリダーラとは誰なのか。
牛の世話をするのは誰ですか、
そしてあなたの心を聖なるお方に対して

揺るぎなくしっかりと固定させてください。


他の方法で他に何が得られますか?

 

 

26、あなたの足元に献身を持たない人たちに

私の視線を向けないでください、あなたの功績の話以外は
何も聞かないでください。

あなたのことを考えない人たちのことを考えさせないでください。

マダヴァ神よ、そして聞かせてください。

私ができなくなるわけではない、たとえ地味な方法であっても

あなたに仕えることができますように、誕生から次の誕生までの間に。

 

 

27、私の人生の結果、
ああ、斬鬼マドゥと斬鬼カイタバを殺したヴィシュヌ神よ、
そしてその祈りと私の祝福は、
ああ、地球の主よ、

あなたが私を、あなたは僕のもの、

僕のもの、助手の僕の僕のものに
してくれるなら、サーヴァントのサーヴァント。

 

 

28、最高の真実を示す彼の名前は、
あなたに同じくらいの喜びを与えるでしょう、
絶え間なく滴る蜂蜜のように、
そして私は手を組んで祈ります、ああ、私の舌よ、
ナーラーヤナ神のさまざまな名前を際限なく繰り返しますように。

 

 

29、私はナーラーヤナ神の蓮華のお御足にひれ伏し、
常にナーラーヤナ神を崇拝し、
ナーラーヤナ神の純粋な御名を唱え、
そしてナーラーヤナ神の背後にある真実について瞑想します。

 

 

30、女神ラクシュミーの主、ナーラーヤナ神、ヴァスデーヴァ王の息子よ、
シュリ・クリシュナ、帰依者の最愛の人、聖輪の使い手、
お腹に蓮の花が咲くシュリ・パドマナーバ、

アチュタ、斬鬼カイタ・バを倒したカイタ・バレよ。
シュリ・ラーマ、蓮の目の主、ハリ、ムラリよ。

 

ああ、終わりのない人よ、ヴァイクンタ天国、ムクンダ、クリシュナ、
ゴヴィンダ、腹の中でロープで縛られていた人、マダヴァ、
私たちは皆、あなたをこれらのいずれかと呼ぶことができます。


ですが、私たちは決してあなたを『これら』とは呼びません、
どれほど熱心であるかを見てください。

私たちは皆、
自分自身の危険を認識しています。

 

 

31、ガルーダの背中に乗る宝石のようなお方よ、
三界を司る宝石のようなお方よ、
チャタカ鳥のように雌牛ゴピスの目を惹きつける宝石のようなお方よ、
美しさの合図である宝石のようなお方よ、
クリシュナ神の妻ルフマニの胸にある唯一の宝石、
あなた自身があなたの配偶者の中の宝石です。


ああ、すべての神々の最高の宝石、
ああ、最高の宝石である魂の世話をする者ゴーパーラよ。
私たちに道を教えてください。

 

 

32、すべての敵を殺すマントラ
崇拝されるマントラ
ウパニシャッドの言葉一つ一つによって。
世界の絆を断ち切るマントラ
悪を追い払うマントラ
無知の暗闇を払うマントラ
あらゆる富を得るのに役立つマントラ
蛇に噛まれたのを治すマントラ
世俗的な悩みを解決するマントラ


そのマントラがシュリ・クリシュナの名です、
そして、舌は常にそれを唱え、
そして人生から解放されます。

 

 

33、不正な欲望を治す薬、
賢者の心に
瞑想をさせる薬、
ラクシャサの王を制御する薬、
三界に命を与える薬、
信者の苦しみを治す薬、
存在の恐怖を治す薬、
すべての栄光をもたらす薬、
それがシュリ・クリシュナの神聖な薬です。
それで、信者たちはそれをお腹いっぱい飲みます。

 

 

34、クリシュナよ、蓮の茎のようなあなたのお御足の中に、
王室の白鳥のような私の心がどうして入ることができますか?


魂が旅立つ準備ができているとき、
そして胆汁と痰が
私の喉を窒息させるとき、
どうやって私はあなたの聖なる名前を思い出すことができますか?

 

 

35、おお心よ、われらの主を歌え、
おお頭よ、御前にひれ伏せ、
おお両手を合わせて嘆願せよ、
おおからだよ、主に敬意を表せよ、
おお魂よ、主をあなたの避難所としなさい。


蛇の山に横たわるお方、
おられるお方よ縁起の良い神、
聖なるものの中の聖なる方、
最も偉大な神、
そして唯一の真理に導く方を。

 

 

36、悪人を悩ませる者ジャナルダナ卿の

物語と性質を聞いてください。

聞いたことのない者は、
その体には鳥肌が立っておらず、
その目には純粋な涙の花輪が形成されていません。
人間の中で最も卑劣なその男を自分の目で見てください。

 

 

37、盲目の私は差別という大きな富を手に入れました。


感覚の盗人が私からそれらを盗み、

私を情熱の盲目の井戸に投げ込んだからです。
それで主よ、どうかこの惨めな者に支援の手を差し伸べてください。

 

 

38、時間の経過とともに変化するこの体は、
百の関節が硬直していつか倒れるでしょう。


なぜ他の薬を探しているのですか?

愚か者よ、
クリシュナ神の秘薬だけを深く飲みなさい。

 

 

39、人間の世界は素晴らしい。
蜜を残して毒を飲む者よ、
ナーラーヤナの名を繰り返さない、
無知な者は他の言葉をすべて語り続ける。

 

 

40、親戚や友人は私を見捨て、
年長者たちはいつも私を叱ります。


しかしそれにもかかわらず、最高の至福は
ゴビンダの私の人生です。

 

 

41、おーい、私は手を上げて真実を叫ぶ、

ムクンダ、ナラシンハ、ジャナルダナの
死と戦争の中で瞑想する者は皆、

自分の欲望を無価値だと考えるだろう。

欲望は永遠に石や枯れ木よりも悪いものだ。

 

 

42、「オーム ナモーナーラーヤナーヤー」

というマントラを聞くことは、
毎日の暗く有毒な物質的な生活のための万能薬です。


私は慈悲の気持ちを込めて、

この世を放棄した賢者たちにこれを唱えます。
そして、声を張り上げ、手を挙げてこれを叫びます。

 

 

43、私の心は一瞬もありません。
クリシュナ神の蓮華のお御足のことを考えないでください。
私の親愛なる親戚や友人、
年長者や一般の人たちに
どうぞ私を叱責し、叱責してください。
悪しき者たちを喜んで広めましょう。
どうぞ私の家族の悪いことについて噂話をしてください。
私の神に酔った狂気の心にとっては、
彼の愛の蜜だけで十分です。

 

 

44、クリシュナは三世界の教師であり、私たちを守ってくれます。
そして、クリシュナ主の前にひれ伏すことなく、

クリシュナ神はこの宇宙のすべての敵を殺しました。

 

クリシュナ神に敬意を表します。

すべての世界はクリシュナ神から来ました。

私はクリシュナの謙虚な奴隷です。

すべての世界はクリシュナ神の中にあります。

ああクリシュナ神よ、永遠に私を守ってください。

 

 

45、おい、牛の声が聞こえた少年よ、

おい、慈悲の海よ、
おい、海の娘の最愛の人よ、
おい、悪魔カムサの殺し屋よ、
おい、象の王に慈悲を注いだ主よ、
おい、マダヴァ、おい、兄弟よバララマよ、
やあ、三界の主よ、
やあ、蓮の目をした我が主よ、
やあ、すべてのゴピの主よ、
私はあなたより偉大な者はいないことを知っています。
だから私をずっと守ってください。

 

 

46、あなたの妻は海の娘、
あなたの息子は世界を創造するブラフマー
あなたについての聖歌は聖なるヴェーダ
デーヴァはあなたの従軍、
この世からの解放があなたのスポーツ、
デヴァキはあなたの母、
無敵の敵アルジュナはあなたの友人、
だから私はあなた以外に誰も知りません。

 

 

47、神にひれ伏すのは頭の最高の義務、
花を持って礼拝するのは命の息吹の義務、

神の善良さを考えるのは精神の義務、
そして神を讃美するのはスピーチの義務、
こう言う者が、この地に住む神聖な者たちだ。

 

 

48、ナーラーヤナ神の御名を大声で呼ぶことによって、
たとえ罪人であってもその欲望が祝福されるのでしょう。


もしかしたら私たちは前世で

言語の力を使っていなかったかもしれません。
それが子宮の中で生きる私たちの悲しみをもたらしたのかもしれません。

 

 

49、ヴィシュヌ神を瞑想する者、

無限で愚かさの少ない者、
心の真ん中の蓮の上に存在する者、
そして瞑想する者に恐れ知らずの意識を与える者は、
ヴァイシュナヴァの偉大な完璧さを確実に得るでしょう。

 

 

50、私の主よ、私に慈悲を注いでください。
あなたは最も慈悲深いヴィシュヌ神です。


この罪人はこの終わりのない物質的な人生の海で溺れているのですから、
あなたの助けに値します。おお、ハリ神よ。

おお最も偉大な男性神プルショタマよ。

 

 

51、乳の海の波からしずくが飛び散る者、
空に星のような美しい姿をした者、
蛇のベッドに横たわる者、
マダヴァ、そしてマドゥを殺害した者とは誰なのか?
主に私の心からの挨拶を捧げます。

 

 

52、遍満、遍満、そして遍満。

それは存在のすべての罪が、

「クリシュナ」と「クリシュナ」の繰り返しによって

永遠に追い払われることですが、

もし人がムクンダへの献身というエクスタシーを持っているなら、

彼には常に解放、名声、影響力、富が手の中にあるだろう。

 

 

53、私の友人たちよ、

偉大な知性、
彼らは詩人の世界の英雄でした。
二重に生まれたカーストに属していました、
蓮の茎はきれいですか、
そしてこれらの詩は、蓮の目の蓮の脚に捧げられました。
クラシェカラと呼ばれる王によって作られました。

 

 

54、ムクンダ・マラの詩を読んだすべての人は、
人生であらゆる幸福を達成し、
罪は赦され、
ヴィシュヌ神の至高の住まいヴァイクンタ天国へ旅立つでしょう。

(本文終わり)

 

 

ワンネス意識、統一意識の話

意識が高まり、すべては一つで繋がっていると体験するとき、

その意識状態の体験を

 

 

ワンネス意識、統一意識などと言います。

 

 

非二元論、アドヴァイタヴェーダンタの

アディ シャンカラは、自らの

ワンネス意識、統一意識の体験を

詩にまとめました。

 

 

その詩は、

アートマシャタカム(atmasatakam)、または

ニルヴァーナシャタカム(nirvanasatakam)

と言われ、吟誦され、伝えられてきました。

 

 

シャタカムとは、6つの詩節からなる詩という意味です。

アートマとは、真の自己のことです。

ニルヴァーナとは、完全な平静、平和、静寂、自由、喜びです。

 

 

シャンカラは、この体験は言葉では

表せないが、後世の修行者の方向を示す

道しるべとして、

 

 

そして、この体験を賛美するものとして

グルに捧げました。

 

 

そして長い時間が過ぎて、

後世の人は、

 

 

シャンカラニルヴァーナシャタカムを唱え続けると

ニルヴァーナが得られると、勘違いしました。

 

 

唱えるとワンネス意識、統一意識が得られると勘違いしました。

 

 

唱え続けてもワンネス意識は得られませんが、

 

 

2500年以上唱え続けられてきていて、

人間の無意識に蓄え続けられてきました。

 

 

無意識に蓄えられた貯金により、

ニルヴァーナシャタカムを初めて聞いても

意味がわからなくても、聞くだけで

 

 

ワンネス意識を短い時間

味見体験する人たちが近年出てきました。

 

 

インドでは、

この詩の意味を熟考し瞑想しています。

 

 

詩の中に出て来るシヴォーハムから

シヴァ神を崇めていて、すべてのものに

シヴァ神を見ていると解釈する人もいます。

 

 

シヴァには、吉祥なものという意味もあります。

 

 

また、シャンカラを良く学ぶと

シャンカラは、シヴァ派よりシャクティ派(女神信仰)の方が

強いことがわかります。

 

 

シヴァ神の信仰だと偏らずに

見てほしいと思います。

 

 

ワンネス意識を体験したいという強い祈りと共に

ニルヴァーナシャタカムを熟考していただければと

思います。

 

 

(ニルヴァーナシャタカムでYouTubeを探してもらえば、

いろんな音源があります。)

 

 

ニルヴァーナシャタカム

(以下本文はじめ)

 

 

1、私は心でもなく、知性でもなく、

 エゴでもなく、内なる自己(citta)の反映でもありません。

 


 私は五感でもなく、私はそれらを超えています。

 私は 7 つの要素や 5 つの鞘 ( pañca-kośa ) でもありません。

 


 私は確かに、その永遠の知識と理由のない至福です。

 縁起の良い(シヴァム)、純粋な意識です。

 

 

2、私をエネルギー (praṇa、プラーナ) と呼ぶことも、
 5 種類の呼吸 ( vāyus - Prāṇa、Apāna、Vyāna、Udāna、Samāna)と呼ぶことも、
 7つの物質的な本質と呼ぶことも、

 5つの鞘 ( pañca-kośa ) と呼ぶこともできません。

 


 私は言語の器官でも、保持(手)、運動(足)、排泄の器官でもありません。

 


 私はまさに、その永遠の知識と理由のない至福です。

 縁起の良い(シヴァム)純粋な意識です。

 


3、私には憎しみも嫌悪感も、
 親近感も好意も、

 

 

 貪欲も妄想も

 誇りも傲慢も
 羨望も嫉妬もありません。

 


 私には義務(ダルマ)も、目的(アルタ)も、

 欲望(カーマ)も解放(モークシャ)さえもありません。

 


 私はまさに、その永遠の知識と理由のない至福です。

 縁起の良い(シヴァム)純粋な意識です。

 


4、私にはメリット(徳)もデメリット(悪徳)もありません。
 私は罪も善行もありませんし、

 


 喜びも悲しみも
 痛みも苦しみもありません。

 


 私にはマントラ、聖地、経典(ヴェーダ)、

 儀式や犠牲(ヤグニャ)は必要ありません。

 


 私は、Aの観察者や経験者と

 Bの観察または経験のプロセスと、

 Cの観察または経験される対象の

 ABCの三者関係のいずれでもありません。

 


 私はまさに、その永遠の知識と理由のない至福です。

 縁起の良い(シヴァム)純粋な意識です。

 


5、私には死がないので、死に対する恐怖はありません。

 


 私は本当の自分から切り離されておらず、

 自分の存在に疑いを持っていませんし、

 カーストや信条に基づいて差別もしていません。

 


 私には父も母もいませんし、
 生まれたこともありません。

 (永遠の存在です。)

 


 私は親戚でも友人でも

 教祖でも弟子でもありません。

 


 私はまさに、その永遠の知識と理由のない至福です。

 縁起の良い(シヴァム)純粋な意識です。

 


6、私はすべてに浸透しています。
 私には何の属性も形もありません。

 


 私は世界に対しても、

 解放(ムクティ)に対しても執着を持っていません。

 


 私は何も望みません。
 なぜなら、私はすべてです。

 


 私はいつでもどこでも、

   常に平衡状態にあるからです。

 


 私はまさに、その永遠の知識と理由のない至福です。

 縁起の良い(シヴァム)純粋な意識です。

 

(以下本文終わり)

 

私は守られている意識の話

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(南インドの瞑想する少女)

 

石川県能登地方地震の被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

被災地域の復旧・復興と、被災された皆様の暮らしが1日も早く

取り戻せますように心よりお祈り申し上げます。

 

 

今日は、私は守られている意識の話です。

 

 

皆さんが、守られて欲しいから、

瞑想の世界で言われている

守られている意識について

つぶやきます。

 

 

地震の映像やニュースで、

怖いと思ったり、

不安に思ったりした方も

多いと思います。

 

 

スピリチュアルの世界では、

引き寄せの法則があります。

 

 

怖い、怖いと恐怖に満たされると、

恐怖の感情が強くなります。

恐怖心が強い人の所に

恐怖のイベントが引き寄せられるのです。

 

 

または、怖い怖いと逃げて、

安全だと思う選択をした方が

次の恐怖の中に向かって

進んでいることもあります。

 

 

あなたの内側の感情や考えが

あなたの外側の3次元世界に顕現されるのです。

 

 

もちろん現実的に

防災の準備は必要です。

 

 

皆さん、今一度防災の意識を高めて

準備をしましょう。

 

 

ここでは、内側の話をします。

 

 

内側の世界は、反応します。

 

 

あなたが内側にマイナスのボールを

投げるとマイナスのボールが返ってきます。

 

 

あなたが内側にプラスのボールを

投げるとプラスのボールが帰って来ます。

 

 

マイナスのボールを投げて

プラスのボールが帰ってくることはありません。

 

 

またプラスのボールを投げて

マイナスのボールが帰ってくることもありません。

 

 

あなたの内側の宇宙は、

あなたの感情に

『そうであれ』

と、肯定するだけです。


あなたの内側の宇宙は、

いつだって

『そうであれ』

と、肯定します。

 

 

あなたの内側の宇宙は、

生まれる前から、

そして死んだあとも

『そうであれ』

と、肯定します。

 

 

あなたの内側の宇宙は、

永遠に

『そうであれ』

と、肯定します。

 

 

私たちは、内側の宇宙に

肯定されて生きているのです。

 

 

だからあなたを

裁く人も責める人もいないのです。

 

 

裁くのも責めるのも、罪悪感を感じるのも

あなた自身です。

 

 

あなたがあなたを責めているのです。

 

 

ですから、

この原理を知り

裁くのも責めるのも

もうやめましょう。

 

 

怖いと思うと、怖くなるのです。

 

 

嬉しいと思うと嬉しくなるのです。

 

 

ヘビだ怖いと思っても、

良く見たらロープだったと

認識した瞬間に恐怖心は

ゼロになるのです。

 

 

ヘビにもロープにも責任はありません。

ヘビはヘビのまま、ロープはロープのまま。

あなたの認識なのです。

認識が恐怖からゼロになったのです。

 

 

私たちが、どう認識するか

なのです。

 

 

私たちの内側の世界は、

私たちの認識次第なのです。

私たちの見方次第なのです。

 

 

ダイヤモンドだと思ったら、

ダイヤモンドなのです。

 

 

ウンコだと思ったら、

ウンコなのです。

 

 

あなたの認識で世界が決まるのです。

 

 

では、考えてみましょう。

 

 

あなたは、仕事をどう認識していますか?

 

 

あなたは、友人をどう認識していますか?

 

 

あなたは家族をどう認識していますか?

 

 

あなたはパートナーをどう認識していますか?

 

 

あなたはお金をどう認識していますか?

 

 

あなたは住んでいる家をどう認識していますか?

 

 

あなたは今着ている服をどう認識していますか?

 

 

あなたは昨日一日をどう認識していますか?

 

 

あなたは過去をどう認識していますか?

 

 

あなたは未来をどう認識していますか?

 

 

あなたは死ぬ時に自分の人生をどう認識していますか?

 

 

すべてはあなたの認識の中にあります。

 

 

さて

やっと、今日の本題の

守られている意識の話に入ります。

 

 

私は守られているという意識は、

私は守られているという見方、

私は守られているという認識の中にあります。

 

 

私は安全だという認識、

私は守られているという認識です。

 

 

あなたが思ったことを

内側の世界があなたに与えてくれます。

 

 

イメージの方が良い方は、

守られている映像を思い浮かべても良いです。

 

 

黙想の時間をとりましょう。

 

 

自分の内側にマイナスの感情があることを

気づきましょう。

 

 

あなたの認識で変わることに気づきましょう。

 

 

私は守られている認識のために

『私は守られている』

とチャンティングしましょう。

 

 

日本人ならば、日本語の方が潜在意識の深くに

入りやすいです。(母国語)

 

 

潜在意識の深くに種を植えれば、

何百倍にもなって

表面にでてきます。

 

 

インドでは、

7−3の21日間

チャンティングすれば、

思考が変わり行動が変わると言います。

 

 

また、

7−7の49日間続けられれば

大きな変容になるでしょう。

 

 

ヒントとして、このチャンティングが

うまく行っているかの評価基準は、

あなたのハートが嬉しく感じたり

楽しいと感じたり喜びを感じたり

したならば、成功しています。

 

 

守られている意識の話でした。

ありがとうございました。

(終わり)

インド人がよく言うビジネスグルについて

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インド人に有名なグルについて聞くと

ビジネスグルという言葉を良く使います。

 

このビジネスグルを説明してみたいと思います。

 

まず、グルとは、

スピリチュアルな先生、師匠のことです。

指導者、教師、尊敬するべき人という意味です。

 

また、闇から光へ導く者という意味もあります。

 

 

そして、ビジネスグルと言えば普通は、

ビジネス界の大先生ということですから、

日本で言えば、

パナソニック松下幸之助さんとか

ホンダの本田宗一郎さんとかソフトバンク孫正義さんとか

世界的企業の実業家、経営者のことです。

 

 

経済界の師匠という意味のビジネスグルの

使い方もありますが、

しかし、

インド人はそういう意味で、

ビジネスグルと言っていないのです。

 

 

インド人の言うビジネスグルとは、

お金儲けするグルという意味で使っています。

スピリチュアルな知識を与えて、

対価としてお金を受け取るグルのことです。

 

 

なぜ、今ビジネスグルと呼ぶかと言うと

昔はグルはお金を基本的に取らなかったからです。

弟子は、薪拾いや水汲みなど労働をして

グルが食事を与えて、

村の人が食べ物を寄付して

成り立っていました。

 

ヴェーダには、

経済的に困った時は、

ヴェーダを教えてお金を取ってもいいと書かれています。

 

ただ、基本的には、

ヴェーダの知識を切り売りして私腹を肥やす者は

地獄に落ちると書かれています。

 

そのためインド人は、

少額の寄付(ドネーション)はしますが、

大きな寄付は、お金持ち以外はあまりしませんでした。

 

最近のインドで有名なグルは、

イベント参加費でお金を取ったり、

コース費用を取ったりします。

 

祭りのたびに参加費や物販があります。

このことをお金を受け取るグルという意味で

ビジネスグルと呼んでいるのです。

 

 

何をするにも費用が掛かるから

お金を取るのは当たり前だから

しょうがないけど、

またか、取り過ぎだという感覚が

インド人にあるようです。

 

だから、

あのグルはビジネスグルだ、

あのグルもビジネスグルだと

インド人は言うのです。

 

 

実情は、

日本の宗教法人は税金で優遇されますが、

インドは、宗教法人も政府に高い税金を

払っているようです。

 

税金を払えなければ

州政府の管理下に置かれるそうです。

 

ミルナード州の大きな寺院は全て

州政府の管理下でした。

 

テンプルのプジャーリは

お金が無くて、外国人を見ると

手招きをして

『300ルピーあるか?特別席に案内しよう。』

などと営業してくることは

何度もありました。

そして直接お金をもらい自分のものにするのです。

 

つまり、インドの宗教法人も

高い税金があるので稼がなくては

継続していけない事情があるのです。

 

また、障害者の施設や

ボランティアに支援が少なくて

宗教法人に泣きついてきて

宗教法人がお金を出して、

施設を助けていることもあります。

 

宗教法人が施設を助けて、

その分お金を稼ぐのです。

 

 

名前は出しませんが、

YouTubeSNSで良く見る

インドのスピリチュアルグルは、

お金を稼がなくてはいけない

システムになっているのです。

 

スピリチュアルグルは、

この時代ビジネスマンとしても

活動していかなければいけないので、

 

インド人が良く言う

ビジネスグルという言葉は、

良く言い表しているのかもしれないです。

 

まとめ

インド人が良く言うビジネスグルという言葉は、

お金儲けするグルの意味ですが、現代社会では

経営者として組織をまとめることもグルの仕事で

ビジネスグルは今風の呼び方だと思いました。

クンダリーニ上昇と督脈(とくみゃく)異常の話

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(鼻尖のところに赤く内出血したところ、

ピークから1週間ほど過ぎてだいぶ治癒した写真です。)

 

クンダリーニの上昇と督脈(とくみゃく)の異常の話です。

 

クンダリーニを上げるサダナ練習をしていて、

鍼灸の経脈の督脈(とくみゃく)に異常が出て、

目に見える形で写真が撮れたので、紹介します。

 

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ヨガでは、内分泌腺に対応したところに

チャクラという蓮の花を想定してます。

 

チャクラを活性化して、

チャクラ間を流れるクンダリーニという

エネルギーを上昇させる

チャクラ瞑想とか、クンダリーニ瞑想があります。

 

チャクラ瞑想とか、クンダリーニ瞑想の説明は、

長くなるのでまた別の機会にします。

 

クンダリーニの上昇は、

背骨に沿って上昇します。

 

その時に、いろいろな症状が出ます。

それは個人差があります。

 

例えば、

尾骨、骨盤が暖かくなる。

尾骨あたりでブーンという蜂の羽音のような音がする。

お尻の筋肉がピクピクする。

背筋が伸ばされて、引っ張られるような感覚。

背中が熱くなる。

背筋がゾクゾクして、寒くなる。

(太陽のナディと月のナディの優位で感じ方が変わる。)

などなど、いろいろあります。

 

ほとんどは、個人の主観的もので、

客観的に分からないものばかりですが、

今回は、クンダリーニが上昇し、

鼻尖の左鼻翼のところに内出血ができて

写真を撮ることが出来ました。

 

写真は、1週間ほど過ぎて

だいぶ治ってから撮ったもので

解りにくくて、申し訳ないです。

 

内出血が出た日は、

朝起きると鼻が赤く腫れて、

顔を洗うのも痛いぐらいでした。

 

当日は、鼻の内出血とクンダリーニと督脈(とくみゃく)の

関係は分からなかったのですが、

 

次の日にクンダリーニ上昇の瞑想をすると、

鼻の内出血のところが連動して

痛みが出てくるので、

そこからつながりがあるなと思いました。

 

さらに、数日後

鍼灸師の先生の勉強会で、

あなたは、督脈(とくみゃく)異常だねと言われました。

 

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督脈(とくみゃく)とは、

鍼灸の経絡の流れの一つで、

尾骨下端の長強穴から、

背骨を上がり、

頭頂部の百会穴を通り、

前面に来て眉間を通り、

鼻尖の素髎(そりょう)穴を通り

上唇の裏の

上唇小帯の齦交(ぎんこう)穴までの経脈です。

 

鍼灸師の先生方に

督脈異常のいいお手本だから、

みんな見に来なさいと

鍼灸師の先生方に囲まれたのでした。

 

つまり、

クンダリーニ上昇の瞑想をやり過ぎて

督脈上をエネルギーが上がり

百会穴を過ぎて、

鼻尖の素髎(そりょう)穴で、

内出血を起こしたのでした。

 

クンダリーニ上昇の過度の修養は

注意しましょうという話です。

 

ここから、考察です。

最近、太陽活動が活発化して

太陽フレアが、低緯度オーロラを出現させて、

北海道でのオーロラ観測がニュースになりました。

 

太陽フレアの影響が私たちの身体にも

影響しているのかもしれません。

 

もしかしたら、

太陽フレアの影響でクンダリーニが上昇しやすく

なって来ているかも?しれません。

 

もちろん、太陽フレアとクンダリーニの関係は

科学的ではありませんが、

私の個人的な直感ですが、

関係してそうだと思うのです。

 

ということは、この時期

クンダリーニ上昇させる

いいチャンスではないかと思うのです。

 

私の実感では、クンダリーニが上がりずらい人を

たくさん見てきました。

クンダリーニ上昇の瞑想しても、

何も感じない、何も分からないという人が

ほとんどでした。

 

ですからこの時期、

クンダリーニ上昇させて、意識を高める

追い風の時期に来ているのではないかと思います。

 

注意として、

クンダリーニについてはちゃんとした先生の指導を受けてください。

私はインドで、クンダリーニ上昇のマントラと同時に

クンダリーニが暴走した時に

クンダリーニを下げるマントラ

2つセットでもらいました。

アクセルとブレーキが古代から伝えられてきたということです。

 

さて今回は、クンダリーニ上昇と督脈異常の話でした。

瞑想を深めるには、いい時期になってきたと思います。

呼吸観察から、瞑想してみましょう。

インド聖者にLGBTQのこと聞いてみた話

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世間では、LGBTQのジェンダーの話題があります。

性的少数派の当事者にしたら、

大変重要な話です。

 

 

ここでは、何の主張もしません。

南インドの旅行で、

聖者から聞いた話を

忘備録として書きます。

 

 

同行者のある方が

聖者に聞きました。

 

 

LGBTQの社会的少数派の問題があります。

このことについて教えてください。

 

 

ある聖者は、ゆっくり目を開き、

静かに話始めました。

(以下聖者の話)

 

 

 

インドの古典には、

男性と女性と中性があると書かれている。

3つの性別があると書かれている。

 

 

私達もそう思う。

(聖者は、単数形でなく複数形を使っていた。)

 

 

古代では、中性の者は神と崇められ、

現代では、病気と批判される。

 

 

これは、人間のエゴの問題だ。

 

 

エゴにより批判したり、

利用したりする。

 

 

エゴにより自分を責めたり

被害妄想をする。

過剰防衛をする。

 

 

自分でも気づかないうちに

エゴによってつき動かされる。

 

 

エゴは、巧妙で狡猾だ。

 

 

エゴの問題が、

この少数派の問題にすり替わっている。

 

 

エゴの話は、別の日にしよう。

 

 

今日は性的な問題の話をしょう。

 

 

性的な問題は、2つある。

 

 

一つは遺伝子と

もうひとつは、母胎でのインストールだ。

 

 

この2つについて話そう。

 

 

遺伝子的な問題が一つ目です。

 

 

遺伝子の話は、専門家に聞いて欲しい。

私達は、遺伝子の専門家ではないから。

ただし遺伝子の問題は、

全体の1%だ。

 

 

残りの99%は、

母胎でのインストールが問題です。

 

 

この99%の領域は、

私達の専門です。

 

 

母胎でのインストールとは、

母親の胎内にいる胎児のときに、

 

 

母親から情報が入って来ます。

 

 

このことです。

 

 

プラスの思考もマイナスの思考も

すべて胎児に入ります。

 

 

胎児期は潜在意識に深くインストールされ、

人生に影響します。

 

 

本人も気づかないので

自分の選択として動かされます。

 

 

例えば

女の子の胎児は

逃げられないお腹の中で、

 

 

お母さんが、

男の子が欲しいとお祈りしていて、

この女の子はどうしたらいいでしょうか?

 

 

体は女の子で

母親は、男の子を望んでいるから

 

 

この女の子は、

男の子になろうと思うのです。

 

 

母親から、女の子に

男の子というデータがインストールされます。

 

 

インストールは、意識に種として残ります。

 

 

そして時間が経過し

思春期にこの女の子は、

男の子になろうという種に気づくのです。

 

 

そして、

この女の子は

男の子になりたい、

女の子が好きとなるのです。

 

 

これは女の子の場合ですが、

男の子も同じです。

 

 

このように母胎でのインストールがいろいろなレベルで

起こります。

 

 

このように母親の思考、願いが子供に

大きく関わってきます。

 

 

ホラー映画を観てセックスしないでください。

ホラー映画を観た後に受胎したら、

殺人鬼のようなインストールされた赤ちゃんが

生まれてきます。

 

 

このことをよく考え、

あなた方がスターチャイルドが欲しいなら、

そのような方法があるのです。

 

 

つまり、受胎の方法や

妊娠中の過ごし方によって、

子供がセクシャルマイノリティになるか、

 

 

スターチャイルドになるかが

決まるのです。

 

 

 

この学校では教えない知識が

皆さんに足りなかっただけなのです。

 

 

足りない物を足せば良いのです。

 

 

そして、インストールされた物は、

アンインストールできるのです。

 

 

そしてアンインストールして、

別のプラスの物をインストールすれば良いのです。

 

 

それは、意識の科学として、

瞑想の科学として可能なのです。

 

 

出産後の環境でのインストールもあります。

ただし、胎児の時のインストールは、

強力なのです。

胎児はノーとは言えないのです。

 

 

つまり、受胎の時

そして胎児期はデリケートで大事なのです。

 

 

私たちの意識に

インストールしたり

アンインストールしたり

自由にデザインできることを

瞑想の中で観るでしょう。

 

 

(聖者の話終わり)

 

 

 

この話を聞いて、私は

昔同じことを聞いたと思いました。

 

 

それは、

うえず先生の明想会で、

レズビアンの女性の方が質問されてました。

 

 

自分はレズビアンで悩んでいるとの質問で、

 

 

うえず先生は、

それは、あなたの思いで、

いろんな思いが出てくるでしょうが、

その思いは、完璧に変えられるから、

それは、完璧に治りますよ。

 

 

と言いました。

 

 

うえず先生は、完璧に治ると言ったのです。

 

 

女性にしてみたら、そのままでいいですよと

言って欲しかったみたいでした。

 

 

インストールされた当事者の立場なら

そのままでいいですよと

認めて欲しいのはよく分かります。

 

 

認めて欲しいもエゴなのです。

 

 

自分の性的嗜好が胎児期のインストールの

影響を受けているとは、

思わないですから。

 

 

深い瞑想で見える景色は違います。

 

 

富士山5合目なら5合目の景色、

富士山頂上なら頂上の景色。

 

 

深い瞑想で見える景色は違います。

 

 

見える景色が変われば、

気分も考えも行動も変わります。

 

 

呼吸観察から、少し瞑想してみましょう。

(終わり)